派閥と石原莞爾の行動の解釈をめぐって
派閥の研究をしていると、石原莞爾の満州事変のことがよくでてくる。あの行動も、派閥の陰謀で、派閥の計画どうりに、石原の関東軍への人事が決定し、派閥の計画通りに事変が起こったという説明だ。
しかし、本当にそうだろうか。それほど、派閥の計画というものが見事に実行されるものなのか。まさに、派閥は裏の参謀本部である。
しかし、あまりにも、ストーリーが流れすぎのように思える。石原は実行・実践人だったのだろうか。もちろん、彼は実行力はあったと思う。
しかし、永田鉄山と同様に、実行力だけではなく、構想力もあり、責任感もあり、きわめてプライドの高い人物だったと思う。その人間が派閥の手先としてなって、人事も動き、関東軍に配属されたのだろうか?
私は疑問をもっている。もう少し研究してみたい。