ヴィットゲンシュタインとカント
最近、カントとヴィットゲンシュタインとの関係が気になる。
もしわれわれ人間とは別に実在というものが存在するならば、これを人間はどのようにして認識できるのか。われわれ人間の認識は主観的である。実在はわれわれと別に客観的に存在する。客観的に存在するものをどのようにして主観的に認識できるのか。
カントは、これを客観的な実在をわれわれの「感性」が事実として捕らえ、われわれの「悟性」によって理論的に整理することによって認識できるとする。
ヴィトゲンシュタインは、これと同じようなことを「言語」「言明」で説明している。カントのいう「感性」が捕らえる事実は、ヴィトゲンシュタインによると、「言明」なのである。その事実は正しいかどうか。それは、その言明が正しいかどうかという問題なのだ。すごい。すっきりする。
こうして、タルスキーが定式化し、ポパーが大好きな次の真理の定義が可能になる。その言明が実在と一致したとき、そのときのみその言明は真理なのである。