カントとフランクフルト学派
若い時、カントを論理的に読んだ。それは、数学のように積み上げ式の理解であった。実感が伴わないので、すぐ忘れてしまう。歳とともに、その理解に実感が伴ってきて、大胆に理解するようになった。
しかし、そのような理解は大誤解かもしれない。が、何か力強い。この難解なカントを、若くして論理的かつ実感として理解してたホルクハイマーとアドルノはすごい。天才だと思う。(しかし、彼等もカント哲学とヘーゲル哲学は難解だと書いているので、救われる気持ちだ。)
さて、これまで、カントの理論理性に対応させて「経済合理的マネジメント」の必要性を主張し、カントの実践理性に対応させて「人間主義的マネジメント」の必要性を主張してきた。最後に、これら2つの関係が問題となる。やっと、若きホルクハイマーが博士論文・教授資格論文で扱った問題と同じ位置にきた。
しかし、私の解答は、ホルクハイマーとは全く異なるものだ。
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