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2020年8月18日 (火)

リーダーのミニマ・モラリア3

リーダーとしての気品と怨望
             慶応義塾大学 菊澤研宗
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  福沢諭吉といえば、慶応義塾大学の創始者として、そして一万円札の顔としても知られている。この福沢をめぐって、これまでいろんな印象がもたれてきた。「実学」を推進する西洋合理主義者。お金儲けやビジネスを推奨する経済合理主義者。いずれにせよ。何か物質的で経済的なものを求めた人物。そういった印象が強いだろう。
  ところが、福沢が求めたものはまったく逆であった。彼が求めていたのは、人間としての「気品」であった。晩年書かれた「福翁自伝」の最後に、残る余生でやってみたいことは、全国の男女の気品を徐々に高めて、真の文明の名に恥ずかしくないようにすることだと述べている。 
  確かに、福沢は日本が西洋文明に追いつくためには、物理学、技術、そして経済学的知識を習得し、それらを発展させる必要があると考えた。しかし、そのような科学的知識を進歩させるには、何よりも個々人の精神的な自律や自由が必要だと考えた。特に、江戸時代の固定的価値観にもとづく身分制度にとらわれない人間としての自律、品格、そして気品を高めることが重要だとみたのである。
  そして、そのような人物がリーダーにならなければ、日本人の知識は自由に進歩発展しないと考えたのである。それゆえ、どんなに才知や技量があっても、他律的で気品のない人はリーダーとして世に立つべきではないという。何よりも、リーダーには気品が必要なのだと主張する。
  この福沢が最も嫌っていたのは、「怨望(おんぼう)」であった。それは、他人を嫉む心、他人に嫉妬する心である。世の中のほとんどのことがらは、善悪紙一重だという。たとえば、粗野はフランクで率直という意味と紙一重であり、傲慢は勇気と紙一重。ところが、一方的に悪く、生産性がまったくないのが、「怨望」つまり嫉みや嫉妬なのだ。それは、他人を引き下げて自分と平等にする心であり、自分が上がるのではなく他人を不幸にして引き下ろして平均を得ようとする心理である。
  福沢諭吉によると、このような人物は品が悪く、人々の進歩を妨げることになる。それゆえ、リーダーとしては失格なのだ。この怨望をいかにして自己統治できるか。これが、リーダーに求められる条件の一つなのである。

 

 

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