秋の夜長は速読ではなく、精読はいかが・・・
最近の日本人は、速読の傾向がある。どれだけ早く、かつ多くの本を読むか。こうした状況を憂いて、昔の人は、本をたくさん読むと、逆に馬鹿になるとかいう人もいた。
僕も古い人間なので、精読を推奨する人間だ。われわれの時代は、難解な本をどのように理解するか、解釈するか、友人と競ったものだ。
たとえば、ドストエフスキーの「罪と罰」。長編で、非常に難解だ。これをどのように解釈するのか。
貧困という物理的状況(世界1)が、主人公のラスコリーニコフを殺人に導き、その後、その犯罪行為を正当化するために、理論武装する(世界3)。しかし、それでも彼の心理は満たされず、最後は、ソーニャに事実を告白し、彼女との愛を確信して、やっと安らぐ(世界2)。
ポパーの世界3理論を知っていると、このように、整理することもできる。しかし、このような解釈はむなしいね・・・などなどと議論するのもいいね。
秋の夜長には、読書を!
ドストエフスキーのように、しつこく新制度派経済学について説明しています。
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