人間に関する研究と不条理
経営学分野で、経営学者が弱い分野は人事労務論である。経営学者は、華やかな分野を好むので、いまは戦略論が一番人気。人事労務論は、地味な分野ということで、この分野の層は薄い。
こうした状況で、計量経済学者が、労働経済学の名のものに、今日、優れた研究を発展させており、いまはこの分野は経済学の領域になっている。
しかし、私個人としては、やはり人間にかかわることなので、数値では限界があるように思える。したがって、経営学者もこの分野にもう一度かかわる必要があるように、最近、思う。
最近、「働き方改革」というスローガンのもとで、いろんなデーターを用いて、経済学者が政策論的議論を展開していて、非常に興味深い。しかし、こういった議論は、大抵、経済人が仮定されており、非経済人としての人間は無視されている。
たとえば、労働時間を強制的に減らすことは良いことかもしれない。日本人はわりに合わない労働をしているという。こうして、労働時間は削減され、そういった制度に日本企業そして従業員は他律的に従うことになる。
このとき、人間の自律性が抑制される可能性もある。労働時間とは無関係に、自律的に創造的に働きたい人もいるかもしれない。この非経済人的な側面。これこそ、人間性なのだが、この点は無視されるべきなのであろうか。
私の研究では、他律的な経済人は、いつかどこかで合理的に失敗する。不正をしてまで効率性を追求したり、全体を無視して個別利益に走ったりすることになる。
人間の自律性を無視した議論は、危険である。
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