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2017年5月

2017年5月22日 (月)

6月17日土曜日 経営哲学学会関東部会のお誘い

経営哲学学会関東部会(シンポジウム)

●慶応義塾大学三田校舎

日時:6月17日土曜日14時から

場所:南校舎455教室

 

学会員以外も参加可能です。

関心のある人はぜひ参加してください。(参加費1000円)

 

●テーマ:ダイナミック・ケイパビリティ論への哲学的アプローチ

 

司会兼コメンテータ:三橋 平(慶応義塾大学)

   コメンテータ:渡部直樹(慶應義塾大学)

(3人の報告各30分→休憩→2人のコメント各20分→討論)

 

報告者

1)永野寛子(立正大学)

  ダイナミック・ケイパビリティ論とネオ・カーネギー学派

2)石川伊吹(立命館大学)

  ダイナミック・ケイパビリティ論のミクロ的基礎と批判的合理主義

3)菊澤研宗(慶応義塾大学)

  オーディナリーとダイナミック・ケイパビリティの境界設定問題

 

終了後:懇親会  

昨年の様子

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2017年5月13日 (土)

拙著『組織の不条理』を東芝問題に応用する(現代ビジネス)

  拙著『組織の不条理(中公文庫)』を東芝問題に応用した記事が『現代ビジネス(講談社)』に掲載されました。

菊澤 研宗: 組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫 き)

菊澤 研宗: 組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫 き)

★現代ビジネス(講談社)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51710

『東芝が陥った「ガダルカナル化」現象』

●原子力ビジネスから撤退できない東芝が、ガダルカナル戦で撤退できなかった日本軍と同じような合理的失敗(不条理)メカニズムに陥っていることを説明しました。関心のある方はぜひ一読お願いします。

●現代日本企業の病理のひとつは、「ガダルカナル化」現象だと思います。

2017年5月10日 (水)

働き方改革の不条理

  経済学者によると、今日、日本人は割に合わない労働活動を行っているようだ。つまり、やりすぎ。働いている労働の割には、商品が安い。サービスが安いという。だから、経済学的に割に合わないのである。この傾向は、「おもてなし」という名のもとに隠れているという。

  したがって、割にあうように、労働時間を減らすことが政策となる。あるいは、製品やサービスの価格を上げることが政策になるのだろう。

  しかし、経済学的に割に合う労働を追求すると、人間は不条理に陥ることになる。つまり、経済的に効率的であるが、不正を犯すのだ。

  たとえば、安全性問題の例が分かりやすい。原発事業のように、完全安全性を追求すれば、経済学的にコストが最大化となり、このビジネスはわりに合わないのだ。経済学的にわりに合うようにするには、安全性に関して手抜きをすることになる。手抜きの安全性が経済合理的という不条理に陥ることになる。

 日本人は、これまで経済学的に割に合わないビジネスを行ってきたということは、決して悪いことではないのだ。そこに、日本企業の文化や伝統があるのかもしれない。長時間労働が良いわけではないが、こういった側面も観る必要があるように思える。

菊澤 研宗: 組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫 き)

菊澤 研宗: 組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫 き)

2017年5月 9日 (火)

人間に関する研究と不条理

  経営学分野で、経営学者が弱い分野は人事労務論である。経営学者は、華やかな分野を好むので、いまは戦略論が一番人気。人事労務論は、地味な分野ということで、この分野の層は薄い。

 こうした状況で、計量経済学者が、労働経済学の名のものに、今日、優れた研究を発展させており、いまはこの分野は経済学の領域になっている。

 しかし、私個人としては、やはり人間にかかわることなので、数値では限界があるように思える。したがって、経営学者もこの分野にもう一度かかわる必要があるように、最近、思う。

 最近、「働き方改革」というスローガンのもとで、いろんなデーターを用いて、経済学者が政策論的議論を展開していて、非常に興味深い。しかし、こういった議論は、大抵、経済人が仮定されており、非経済人としての人間は無視されている。

 たとえば、労働時間を強制的に減らすことは良いことかもしれない。日本人はわりに合わない労働をしているという。こうして、労働時間は削減され、そういった制度に日本企業そして従業員は他律的に従うことになる。

 このとき、人間の自律性が抑制される可能性もある。労働時間とは無関係に、自律的に創造的に働きたい人もいるかもしれない。この非経済人的な側面。これこそ、人間性なのだが、この点は無視されるべきなのであろうか。

 私の研究では、他律的な経済人は、いつかどこかで合理的に失敗する。不正をしてまで効率性を追求したり、全体を無視して個別利益に走ったりすることになる。

 人間の自律性を無視した議論は、危険である。

菊澤 研宗: 組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫 き)

菊澤 研宗: 組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫 き)

2017年5月 3日 (水)

限定合理性、新制度派経済学、そして行動経済学

 人間は完全に合理的はなく、完全に非合理的でもない。人間は、限られた情報の中で、合理的に行動しようとする。これが、限定合理性の仮定である。

 この仮定は、H.A.サイモンが新古典派経済学を非現実的として批判し、経営学をより経験科学的なものとして再構成するために、明示的に主張ものである。

 人間は、情報が不完全なので、新古典派経済学のように、微分して最適解を瞬時にえることはできない。何よりも、満足するような方法を一歩一歩進むような意思決定プロセスが存在するというのが、サイモンであった。

 こうして、サイモンの弟子たちは、意思決定プロセス論を展開することになる。しかし、それは記述であって、説明ではないことから、役に立たないことが理解される。

 こうして、この方向性を避けたのが、サイモンの弟子であるウイリアムソンである。彼は、心理学的方向性を避けたのである。そして、より経済学的で、制度や状況決定論へと進む。なぜか。このような非心理学的な(制度論的)説明は、よりテスト可能性、再現可能性、反証可能性が高いからである。

 状況(制度)によって人間行動を説明する方が、人間の心理的要素(内面的欲求、劣等感、満足)によって人間行動するよりもテストしやすいのである。心理学的説明の弱点は、なんでも説明できるという点である。これは、強味ではなく、弱みなのである。

 ポパーによると、アドラーがその典型だという。アドラーによると、人間行動は、「劣等感」で説明される。

●いま河でおぼれている子供いて、近くに一人の男がいるとする。この男は、どのような行動をとると予想されるか。

(1)もし男が河に入って子供を助けるならば、それは彼らそのような行動をとることによって劣等感を克服しようとしたからであるとアドラー理論では説明される。

(2)もし男が河に入らずに子供を助けないならば、このような緊急事態でも冷静な行動をとることによって劣等感を克服しようとしたからと、アドラー理論で説明だれる。

つまり、結局、テストできないのである。明日は、晴れか晴れ以外であるといっているのと同じ。

 さて、この同じ性質を持つ可能性があるのが、心理学を基礎とする経済学、つまり行動経済学である。プロスペクト理論の問題点は、レファレンスポイント(参照点)である。これは、人によって異なる。つまり、移動できるので、実は、なんでも説明できるという危険がある。やはり、心理学的なのだ。

 以上のように、ウイリアムソンの限定合理性にもとづく新制度派経済学とカーネマンたちの限定合理性にもとづく行動経済学は異なるものである。

菊澤 研宗: 組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫 き)

菊澤 研宗: 組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫 き)

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