不適切だが、合法的であるということ
もう話は古くなってしまったが、舛添氏をめぐって、弁護士が「法的には問題ないが、適切ではない」と繰り返し言っていた。
実は、この同じことをいっていたのが、ユダヤ人を大量虐殺したアイヒマンだ。彼は、イエルサレムの法廷で、「自分のやったことは、不適切だったかもしれないが、ナチス政権下では合法的であった」と。
われわれ人間には、違法でも正しいことを行う勇気が必要なのかもしれない。というスタンスがカント哲学である。
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