小林秀雄、本居、ソクラテス、そしてカント
小林秀雄よると、通説では本居宣長が(1)科学主義的で実証的だが、(2)他方で古事記を信じる非科学的な人物だったといわれている。
しかし、小林秀雄が本居宣長の本を読むと、二つのことが一つにまとまり、一人の人物として浮かび上がったという。血のにじむような地道な努力によって、そのように理解できたという。
これに関する小林秀雄の語りは、力強い。大した努力もせずに本居宣長について語る学者をあざ笑うかのようだ。努力もしないものには、本居宣長なんて絶対に理解できない。なぜ科学的で実証主義的な本居宣長が、神話としての天皇の歴史を信じたのか。
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パイドロスがソクラテスに「神話を信じますか」と質問する。ソクラテスは、「私が信じないというと君は安心するだろう。そして、私のことをふつうの人間だと思うだろう」・・・
カントは、ニュ―トン力学を真理だと信じていた。すべてを説明できると信じていた。しかし、それは、現象界に過ぎないとし、「モノそれ自体」にアプローチする哲学の可能性も存在していると論証した。この論証の方法を、ヘーゲルが誤解したのだが、カントは弁証法といった。
私には、以下の等式が観える。
小林秀雄=本居宣長=ソクラテス=カント
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