我が上なる星空と、我が内なる道徳法則
文科省が、理科系は必要だが、文系は不要だということをいいはじめて(その後、否定したが)、改めて気になる言葉がある。それは、若い時には、まったく気にならなかった言葉で、カントの墓に刻んであるカントの言葉である。
「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない」(『実践理性批判』の結びより)
カントは、若い時、天体の研究をしており、ニュートン力学に精通していた。当時は、自然科学と人文学は区別されていなかったのである。
東京は街の光が多いので、夜空の星を見るのは難しい。しかし、田舎の冬の夜空を見ると、星だらけだ。その光景は不思議そのもので、宇宙の原理や宇宙の成立ちへの興味は尽きなくなる。
しかし、カントはそのような宇宙の原理や自然の原理では説明できないものが、人間行為にあることに気づいた。そして、そこから彼は人文学へと研究を進めていく。カントは、そこにも原理や法則があると考えた。そして、彼はそれを「道徳法則」といった。あるいは、また「自律(自由)の原理」ともいった。
この内なる道徳法則や自律の原理に崇高さや畏敬の念を抱けない文科系の学者は、いつも自然科学者を上層とする階級社会に生きることになるだろう。
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