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2015年4月12日 (日)

本の翻訳について

 最近は、英語ができる人が多くなったせいか、翻訳本に関する批判的なコメントが非常に多いような気がする。

 特に、学者や研究者の専門書の翻訳は読みにくいという点を批判し、もっとわかりやすくとか、もっと工夫すべきとか、いった批判だ。

 しかし、もともと専門書というものは、英語でも難しいものだ。日本語に比べて英語文はもっと簡単に書いてあるから、英語を読んだ方がいいというコメントも多いが、いかがなものか。本当に理解してのかどうか、疑問だ。

 たとえば、「Bounded Rationality」

  専門家は「限定合理性」と訳する。すると、一般人は、わかりにくい。日本語的ではないということになるのだろう。「制約された合理性」とか「合理性の限界」という訳がいいというのかもしれない。

 ところが、研究者からすると、「限定合理性」の方がいいのだ。それは、わかりやすいとかいう問題ではなく、この仮定がなぜできたのか。その背後にある歴史とも関係してくる。

 つまり、新古典派経済学が仮定している人間の「完全合理性」を批判してできた仮定なのであり、個人に的には、以下のように5文字5文字で対称的に美しいのだ。

      「完全合理性」 vs 「限定合理性」

 専門書というものを、一般人向けに翻訳するというのは、一つのあり方だと思う。しかし、専門書というのは、もともと難しいものだ。それを理解するためには、読み手に知識が求められるのだ。

 文法的な誤りは決定的だが、そうでないような翻訳は、It does not matter.だといいたい。翻訳している研究者は、文章家や翻訳家を目指しているのではなく、大抵、自分のためという人が多いように思う。問題は、それに付き合うかどうか。

菊澤研宗: ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー(祥伝社新書)

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