いま、ロシアで世界柔道選手権が行われている。今年もルールが変更されて、まったく不適切な審判の判断によって多くの日本人選手が泣いている。それに対して、日本人の監督、コーチ陣は冷静だ。一応抗議はするが、最初からあきらめ気味だ。だから、抗議をしてもその態度はあっさりしたものだ。
英語、言語の壁が厚いという理由はある。しかし、僕の本音としては、日本語でもいいから通じなくてもいいから非合理的にもっと激しく抗議をしてほしい。科学や論理学に負けてはいけないのだ。そんなものは、物事の表層しかとらえることができない。因果のフレームワークを超えることができず、無限後退するだけで、最後の原因を知ることができないのだ。
信頼できるリーダーは、どこか一部こだわりがあり、非合理的なものだ。そして、そこに魅力がある。松下幸之助。価格はメーカーが決めるのだと頑張った。だから、価格は消費者が決めるとダイエーの中内功...さんを嫌っていた。ビジネスの定石としては、中内の方が合理的。しかし、松下幸之助の非合理的な発言の背後には、メーカーには多くの従業員を守る義務があるんだという信念がある。この非合理性にこそ、何か真理がありそうなのだ。
前にも書いたが、ある学者の妻である赤染衛門。学識ある夫が 彼女との会話で、乳母として奉公に上がった女性の乳が貧相なのを見て大丈夫だろうかという話をした。これに対して、妻である赤染衛門が「大和心」さえあれば、そんなことはたした問題でない、という歌を歌っているという。
当時、男性を中心に学問が展開されており、それゆえ男たちは中国から入ってくる科学的知識に溺れていた。ところが、日本の女性は科学的知識以上に重要な知というのをちゃんとわかっていた。そして、それを女性である赤染衛門が「大和心」という言葉で表わしたというのが、小林秀雄の解釈。
夫は、科学的な知識にもとづいて乳が出ないならば乳母としてうまく働けないのではないかと科学的に心配しているが、妻である赤染衛門の方はそんな科学的知識よりも、「大和心」があれば大丈夫だと述べているのだという。
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