利益最大化を目指して何が悪いのか?ー思考実験不足です
最近、経済合理的な議論よりも哲学的な議論を展開することが多くなった。それは、自分自身がそういった方向に関心を持っているだけではなく、日本社会もそのような話に関心があるように思う。だから、私が講演で呼ばれるときは、大抵、そいった話を求められる。
経済合理性も重要だが、やはり哲学的議論や考えが重要だということを話すると、必ず次のような質問がある。
「利益最大化をして何がいけないのでしょうか?」「経済合理性を追求して何がまずいのでしょうか?」私自身も若いときには、とくにミルトン・フリードマンの素晴らしい本を読んだときには、このようなことを大声で言いたかったものだ。
しかし、いまはこのような質問を受けると、やはり質問者は経験不足か思考実験不足だと思う。特に、リーダーや意思決定を行う立場になると、やはり経済合理性だけを基準にすることができない問題に出くわすものだ。その問題があまりにも深刻なために、逆に経済合理性に逃げたい場合もある。
たとえば、いまあなたがある中小企業の経営者だとしよう。日々、従業員たちに十分な給与を支払えずに、内心、申し訳ないと思っているとしょう。こうした状況で、防衛省から15年契約で地雷を生産してほしいという依頼があったとしよう。このビジネスからは多額の利益が安定して15年間得られることは間違いない。みなさんは、どうするのだろうか。世の中では、地雷撲滅運動が起こっている。それでも、経済合理性にもとづいて迷うことなく、契約するのだろうか?この問題に、科学は答えてくれない。
また、いま自分の子供が難病になり、その治療費が非常に高い。それゆえ、家族の生活はかなり苦しい状況にある。しかし、日々、病院に通い治療を受けていれば、子供は生きていくことはできる。しかし、通院をやめれば子供は確実に死に至る。このとき、親として経済合理的に行動することができるのだろうか。この問題に科学は答えてくれない。
経済合理性を追求して何がいけないのか?こういった質問を受けると、やはりもう少し経験や思考実験が必要ではないか?と思う。人間はだれでも、最後に自分の親の最後をめぐって、このような問題に出くわすのだ。そして、ほとんどの人が出す答えは、「お金の問題(経済合理性)ではないよね」だと思う。
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