知識はどこから生まれてくるか:経験か先験か
知識はどこから生まれてくるかをめぐっては、これま何度も激しい議論が展開されてきた。
いまだに、経験を通して知識は生まれると思う人は多いだろう。しかし、簡単な思考実験をすると、この答えは問題を生み出す。つまり、もしそうだとすれば、かなり多くの人間はすでに死んでいる。経験してからでは遅いような知識は非常に多くある。「道路を走る自動車は危険である」という知識を各人がえるために、経験は必要だろうか?
その他、いろんな議論があるが、やはり人間は知識をもっており、それにしたがって演繹的に推測して行動していると考えた方が矛盾が少ない。子供をもった親は理解できると思うが、よちよち歩きの子供でも不思議なことに親が思うほど危険なことをしないものだ。
ではその知識はどこからくるのか?答えはわからない。天から降ってくるのか、閃くのか。
しかし、深刻な問題は、そこにはない。どこから知識がうまれてこようが、It doesnot matter.だ。たした問題ではない。
問題は、生まれた後、その知識に従って推測して行動しても問題がないかどうかだ。問題がなれければ、保持されてゆくし、問題があれば、放棄されるか、修正されるかだ。
こうして知識は成長してゆくといったのは、K・R・Popperである。私はいまでもこの説を信じている。
菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)
























![: 週刊ダイヤモンド別冊 歴学(レキガク) 2010年 1/11号 [雑誌]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/518eoSc6jZL._SL75_.jpg)








