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2013年5月19日 (日)

経験科学の宿命はわからない問題は捨てること

  これは日本でもいえることだが、米国のビジネススクールでも起こっている現象がある。技術があまりにも早く発展しすぎて、年配の教授たちがついて行っていないことだ。

 具体的にいうと、パワーポイント。米国のビジネススクールでは、ゼミも、修士論文もない大学がほとんどなので、唯一講義が勝負となる。当然、日本と同じように、パワーポイントを使う講義が中心となる。しかし、私が知る限り、年配の先生の多くは、技術についていけず、パワーポイントを自分で作れないように思える。

  偉い先生は、秘書がいるので、作ってもらっているが、自分で作らないので、ますます技術についていけないことになるという悪循環。こうして、米国では年配の先生が若手に対して強い態度にでれないのではないか、と想像したりしている。

  若手の方はコンピュターとデーター処理ソフトを駆使するので、研究もソフトに依存的であり、データ依存的だ。最近は、文字を分析するソフトがはやっているようで、「A」という言葉がどのくらいの頻度で論文に出てくるかとか、簡単に知ることができるようだ。(この点については、詳しくないので・・・正確にはわからないが・・・)
  
  これができると、たくさんの会社の社訓を分析し、「誠実」とか「責任」とかいった言葉が多い会社ほど業績がいいという仮説を立てて得意の回帰分析を使う。そして、有意がでれば、「経営理念」は役立つというパターンにもっていけるだろう。「特許」をめぐる研究が多いのも、実は特許の書類には、ソフトで処理しやすい内容がたくさん書いてあるようだ
  
  真理の探究とは程遠いかも・・・・・・まさに、分かるものだけ取り上げて、分からないものは捨てるという科学の歴史を辿っているのだろう。

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