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2013年2月21日 (木)

肉体労働としての米国式実証研究

 昨日のセミナーは、テーマが面白かった。社会学、心理学では、本当にいろんな理論がでるんだなあと感心する。theory of diffusion というのがあるらしい。これは、イノベーションがどのように波及するのか、広がるのかという理論らしい。社会学なので、文化や宗教や価値観の違いによってその波及速度や波及の仕方が異なるということのようだ。

 昨日はのセミナーの報告(カルフォルニア大学デイビス校の教授)は、波及とはある意味で逆の、受け入れたものをどのように捨てるのかという問題意識にもとづく研究で面白かった。

 いつものように仮説を並べてそれを実証するというパターンの研究だ。とにかく、経営学者はやたらに仮説を作って、実証したがるのだ。

 今回は、たとえば(仮説1)よく実践されているようなことは、放棄されにくい。とか、(仮説2)組織内部の人を使って実践されることは、放棄されにくいとか。そんな仮説を6つぐらいだして、それを実証する。全部検証されると、怪しいので、一つは実証されなかったというストーリーだ。そのストーリー通りの報告だ。

 いままでやもやしていたが、今回ではっきりわかった。経営学者には、経済学と異なり、「均衡」という発想がないのだ。最適とか、最大とか、最少とかもない。とにかく、勝手に、安易に仮説を作る。

 このことは何を意味するのか。仮説が説明している現象が「安定」しているとか、そこに収束していくという発想がまったく存在しないということだ。その仮説は、少なくとも5年間は安定しているのかとか、初めは異なる現象でも時間とともにそうなるのかとかいった仮説ではないのだ。

 まさに、その場かぎりのアドホックな仮説だ。とにかく、いま実証して、統計的に99%あるいは95%確かでればいいという安易な発想なのだ。だから、だれでもすぐに実証研究できるのだ。

 経済学の場合には、個々人が合理的で効用最大化あるいは利益最大化に基づいて行動するという仮定のもとに、最終的にそのような状況や現象に収束するあるいはそのような状況や現象は安定しているあるいは均衡しているという仮説になるのだ。

 このような理論的考察をまったくしないで、ただひたすら肉体労働のように実証する。一時的に統計的に実証されればいい。これが米国の実証主義の経営学だ。肉体労働する前に、頭を使うべきではないか?その仮説が語る現象が安定して起こる現象なのか?あるいは、時間とともにそこに収束する現象なのか?あるいはある衝撃で一時的に変化してもまたそこに戻っていくような現象なのか?

 このようなことを説明する理論がないのだ。理論があれば、そんな簡単に実験仮説は出てこないはずだ。

 経営学には理論がないのだ。常識で不安定な現象に関する仮説をとにかく手っ取りばやく作っているだけなのだ。しかし、大量のデータを集めて、それを処理するその肉体労働には、頭が下がる。その努力は、否定できない。この意味で実証経営学者はえらい!

 しかし、H.A.サイモンが、経営学を科学にするために、なぜ限定合理性仮説を提案したのか、経営学者が考える必要があるように思う。むしろ、経済学者の方をこれを受けいれ、学び、そして発展しているように思われる。

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