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2013年1月11日 (金)

ドラッカーをめぐる不思議

 ドラッカーに関して、かつては一般人よりも学者がドラッカーを研究し、いまは学者よりも一般人がドラッカーを読んでいる。これは、どういうことなのか?こういった疑問が日本の学会にはあるようだ。

 私の答えは、簡単だ。ドラッカーの初期の著書は、ドラッカー自身が書いており、内容が非常に難しい。「経済人の終焉」「産業人の未来」「企業とは何か」「現代の経営」どれも難しい本だ。たぶん、一般人には内容は理解できない。断言する。学者でも理解するのが相当難しい。だから、学者がアプローチしていたのだ。解釈が必要だったのだ。

 ところが、ドラッカーは長生きした。ドラッカーの生涯の敵は、ヒトラーのナチスであり、全体主義思想であった。そして、戦後は、ナチスに代わってソ連が彼の敵になった。社会主義であったが、ドラッカーはその本質を全体主義とみていた。

 そして、そのソ連が崩壊したとき、ドラッカーの生涯の敵は消えた。その後、ドラッカーの本はやわらかく、読みやすく、軽くなった。彼はコンピューター(ワープロ)を使っていなかったので、おそらくライターが代筆して、一般人でも読めるように、そしてまた売れるように書いていたのだと思う。

 こうして、ドラッカーは、学者の対象ではなくなったのだ。

 先も述べたように、ドラッカーは長生きした。どれが本当のドラッカーなのか?いろんな解釈はあるだろう。ドラッカーは啓蒙的な作家だとか、社会哲学者だとか、コンサルタントの最初の人とか、経営学を作った人とか、未来生態学者とか。いろいろ言われている。どれでもいのだろう。

 私は学者なので、初期のドラッカーこそ本物だと思っている。魅力的だ。ナチズムに支配されたヨーロッパから逃げるようにロンドン、そしてニューヨークにやってきたドラッカーは、個人の自由を奪うナチスの全体主義を批判し、米国で自由な社会の実現を望んでいた。

 自由社会を形成する方法は、いろいろあるだろう。しかし、今後は企業を中心とする産業社会がやってくると予想したドラッカーは、企業経営者に自由社会の形成を委ねたのである。つまり、自由社会を形成するのは、政治家でも、官僚でも、学者でもなく、「企業経営者である」と宣言したのである。

 だから、ドラッカーは、新しく顧客を生み出すような創造的で自由な活動をしていない企業を認めない。社会に対して自由を行使していない企業や企業経営者が、そもそも社会に対して責任など感じるわけがないのだ。自由と責任は対概念だ。

 初期の彼の本を読んでいると、彼の若くて熱いメッセイジが伝わってくる。ドラッカー著『産業人の未来』は、一度は読むべきである。

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