慶応大学菊澤ゼミナールHP

私の趣味

私の著書

新制度派経済学と限定合理アプローチの本

経営哲学学会HP

« バークレーでの報告のその後 | トップページ | 経営学と教科書 »

2012年11月21日 (水)

アメリカの経営学と日本の経営学

  1970年代までの日本の経営学者は、ある意味で楽だった。アメリカやドイツにはまだ有名な経営学者がいたからだ。だから、日本で有名になる方法のひとつは、有名な経営学者の本の翻訳だった。

   ところが、今は大変だ。 アメリカでもドイツでも有名人は少なくなったからである。さらに、日本企業がひたすらアメリカの経営学を模倣する時代も終わったからである。日本企業や経営者自身が自律的になった。その表れが、つい最近まではやっていた(実は日本ではずっと人気があったのだが)ドラッカーブームだ。あれは、いわゆるアメリカ経営のアンチテーゼだ。
 
  リーマンショックをみて、多くの経営者がやっぱりアメリカの経営者のようにカネ儲けだけでは駄目だよねということに気づいたからだ。やはり、哲学や倫理も必要ではないかと。だから、ドラッカーの陰で、孔子の論語の読書会もはやっていた。
 それから、やはり日本人、とくに経営層は何か哲学的なところが好きなのだ。だから、ドラッカーの前は、バーナードだった。いずれも、内容は難解だ。経営層がいいいいと言い出すので、部下たちもいやいや読まなくてはいけなくなる。そこに「もしドラ」が・・・・          
   
 問題は、ここからである。では、今後、どうするのか。実は、経営者も官僚も経営学者もみえていない。多民族社会と単一民族社会。アメリカに来てみればわかるが、少なくともアメリカの経営は日本にはあわないように思う。やはり日本人は組織が好きなのだ。だから、組織になると、どうしても最後は求心力として、何か倫理とか、精神とか、リーダーシップとか、そこに行き着くのだ。
 むかし、そういった点に強かったのはドイツだったのだが、ドイツにはもうそういった学者はいない。

« バークレーでの報告のその後 | トップページ | 経営学と教科書 »

12)UCバークレー滞在記」カテゴリの記事

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30