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2012年10月21日 (日)

「実践」と「応用」の違い

 これまで、このブログでいろんな用語の区別をしてきた。「行動」と「行為」、「目的合理的」と「価値合理的」、「コスト」と「費用」などなど。こういった整理を得意としているのが、あのオーストリー学派だ。マッハループなどは天才的だ。

 今回は、最近よく使われている「実践」という言葉について説明してみたい。「実践」という言葉と理論の「応用」を同じように使っている人が多い。しかし、こういった人は、ドイツ、広くヨーロッパの哲学を理解することはできない。

 『理論と実践』という本があるが、多分、これを「理論とその応用」と思ってしまうのだろう。違うのだ。これは、「理論と自由」とか、「必然と自由」という意味なのである。これは、カント以降の伝統なのだ。何度もいうが、「実践」というのは理論の応用ではなく、自由意志にかかわるすべての「行為」のことをいうのである。

カントは、人間には二つの理性があり、一つは理論理性であり、もう一つは実践理性であるとした。

理論理性とは、「AならばB」という法則を認識し、体系化する理性であり、われわれはこの理性によって、「BのためにAすべし」という応用命題を引き出すことができ、それにしたがって行動することができる。これは、因果法則的な行動であり、原因や条件がある行動であり、それをカントは他律的と呼んだのである。そこに「実践」という言葉が入る余地はない。

これに対して、実践理性とは、唯一、自分自身を原因として行為させる理性である。それは、自らはじめる能力であり、自律的な理性であり、自律的な行為となる。これが「自由」である。このような行為が「実践」なのである。それをカントは言明化すれば、定言命法「Aすべし」となるといったのである。この定言命法に従う行為が「実践」なのである。

本屋さんにいって、哲学の分野にいくと、先にお話したが、『理論と実践』、『認識と実践』などいった本があったら、ぜひこのことを思い出してほしい。

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