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2012年10月

2012年10月29日 (月)

教養から専門へではなく専門から教養へ

現在の日本の大学では、入学後、一般教養科目を学びそして専門科目へという流れとなっている。大学へ入学したら、法律をやりたいとか、経済学をやりたいとか、経営学をやりたいと思って、しっかり受験勉強してきた学生にとっては、現状のカリキュラムはつらいものがある。

しかし、やはり教養というものは価値があり、重要だという点は否定できない。哲学、数学、歴史などなど本当に重要だ。

私の個人的な経験では、専門科目を深く学び、研究してから、数学が必要であることがわかったり、哲学が必要なことも分かった。さらに、論文を書いていたら、文章が気になって、名文と呼ばれる芥川や堀辰夫など、そして小林秀雄がどんな文章を書いているのかも気になった。しまいには、アインシュタインやボーアなの論文の書き方すら気になった。

このような個人的経験から、まず専門科目からはじめて、その後、自由に教養科目がとれるようなシステムだといいのではないかと安易に思ってしまうのだが・・・多分、そうするには膨大が取引コストが発生するので、大抵、現状を維持することになる。

こうして、今年もまた多くの不満を抱えた新一年生を大学は抱えることになるのだろう。

2012年10月22日 (月)

キュービック・グランド・ストラテジー『戦略の不条理』光文社新書のCD版発売

「TOPPOINT」という月刊誌がある。この雑誌は、毎月、良書を選んで、要約をしている雑誌だ。2009年下期に、私の『戦略の不条理』を選んでいただいた。そして、人気投票も5位だった。

そこで、この『戦略の不条理』についての私が直に話をするCD版が制作された。いまは、ファイルによるダウンロード版もある。関心のある人は、試聴できるので、買っていただけるとありがたい。

いま、試聴してみると、懐かしい。

●キュービック・グランド・ストラテジー:CD版 

http://www.toppoint.jp/author/37

●内容要約

http://www.toppoint.jp/library/selection?page=2&selection_secondary_id=18&sort=count_pdf_desc

菊澤 研宗: 戦略学―立体的戦略の原理

菊澤 研宗: 戦略学―立体的戦略の原理

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

企業は価値的と人的側面から眺める必要がある

  バークレーのビジネススクールの学生をみていると、いろんな国からいい学生がきている。質問を聞いていると、なんともいえないいい味を出す学生がいる。こういった多様な人材が集まる企業は、強いだろうなあ~と思う。
 こういったことから、企業というのは成長するときには加速度的に成長し、ダメになるときには加速度的にだめになるのだが、それについて、これまで、経営学では、大抵、ファイナンスの観点からの説明が多かった。つまり、儲かっているときには、比例的に増加する自己資本だけではなく、信用も増加して貸し手も多くなる、逆にダメになると、信用がなくなり加速度的に資本が減少する。
 しかし、この点は人事についてもいえるのだろう。儲かっているときには、いい人材が集まるのだろうし、ダメになるといい人材が逃げて行ったり、解雇されたりするのだろう。この観点からすると、いま、グルーグル、アップル、サムソンには最高の人材が集まっているように思うし、他方、シャープ、パナソニック、ソニーは人材が流出しているのではないかと思う。

取引コストの観点からすると、人的側面での流入流出の方が企業にとって辛いだろう。

菊澤 研宗: 組織は合理的に失敗する(日経ビジネス人文庫)

菊澤 研宗: 組織は合理的に失敗する(日経ビジネス人文庫)

『組織の不条理』の文庫版

菊澤研宗: なぜ「改革」は合理的に失敗するのか 改革の不条理

菊澤研宗: なぜ「改革」は合理的に失敗するのか 改革の不条理

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

2012年10月21日 (日)

山中教授をめぐる「失敗は許されるか許されないか」議論

ノーベル賞を受賞した山中教授が、失敗の重要性を語ったところ、いろな議論が出ているようだ。賛同者も多いが、批判者もいるようだ。

批判の多くは、甘い学者の世界と違って、日本企業では失敗は許されないという議論だ。これは、かつて日米企業経営をめぐる違いの一つとしてよく語られた議論だ。つまり、米国企業では失敗は許されいるということだ。

しかし、いまはわからないが(いまもたぶん同じだと思うが)、かつて日本の有名企業(とくに金融関係)は、採用時にエリートグループ(たとえば同期40人から50人ぐらい)とそうではないグループに分けて採用していたようだが、このエリートグループの戦いは実は長期戦で、失敗しても再起可能なのだ。戦いは、長く続く持久戦だ。一度の失敗で、若きエリートをだめにすることはないのだ。

しかし、これに対して、そうではないグループは失敗は許されなかったかもしれない。かつて、私の友人がある会社に入社して、こういっていたことを思い出す。

「区切り区切りに試験があるのだが、失敗は許されないと考え、その試験のために熱心に勉強している同期がいる。しかし、結局、そんなものは関係ないのだ。もう決まっている。自分は、一度ぐらい失敗しても大丈夫なんだ」と。

しかし、いまは日本企業も相当変わったかもしれない。しかし、私と同じ世代がいま会社の上層部にいることを考えると、安定している企業はそれほど変化していないのではないかとも想像してしまう。

いずれにせよ。面白い議論だ。

「実践」と「応用」の違い

 これまで、このブログでいろんな用語の区別をしてきた。「行動」と「行為」、「目的合理的」と「価値合理的」、「コスト」と「費用」などなど。こういった整理を得意としているのが、あのオーストリー学派だ。マッハループなどは天才的だ。

 今回は、最近よく使われている「実践」という言葉について説明してみたい。「実践」という言葉と理論の「応用」を同じように使っている人が多い。しかし、こういった人は、ドイツ、広くヨーロッパの哲学を理解することはできない。

 『理論と実践』という本があるが、多分、これを「理論とその応用」と思ってしまうのだろう。違うのだ。これは、「理論と自由」とか、「必然と自由」という意味なのである。これは、カント以降の伝統なのだ。何度もいうが、「実践」というのは理論の応用ではなく、自由意志にかかわるすべての「行為」のことをいうのである。

カントは、人間には二つの理性があり、一つは理論理性であり、もう一つは実践理性であるとした。

理論理性とは、「AならばB」という法則を認識し、体系化する理性であり、われわれはこの理性によって、「BのためにAすべし」という応用命題を引き出すことができ、それにしたがって行動することができる。これは、因果法則的な行動であり、原因や条件がある行動であり、それをカントは他律的と呼んだのである。そこに「実践」という言葉が入る余地はない。

これに対して、実践理性とは、唯一、自分自身を原因として行為させる理性である。それは、自らはじめる能力であり、自律的な理性であり、自律的な行為となる。これが「自由」である。このような行為が「実践」なのである。それをカントは言明化すれば、定言命法「Aすべし」となるといったのである。この定言命法に従う行為が「実践」なのである。

本屋さんにいって、哲学の分野にいくと、先にお話したが、『理論と実践』、『認識と実践』などいった本があったら、ぜひこのことを思い出してほしい。

2012年10月20日 (土)

ダイナミック・ケイパビリティをめぐる二つの研究

 ティース教授のもとで、「ダイナミック・ケイパビリティ」について研究しているが、この言葉はなかなか難しい用語だ。

 多くの研究者は、すでにこの用語を知っていて、日本でもお馴染みだ。そして、かなり多くのひとが簡単な概念だと思って、すぐにこの概念を利用し、1本論文を書いて終わりだ。中には、形容詞的に扱って終わる人もいる。「・・・・・こういった企業の行動は、今日、ダイナミック・ケイパビリティと呼ばれている。・・・・・・・」という感じだ。

 しかし、ダイナミック・ケイパビリティをめぐるアカデミックな論文を読んでみると、以外に面白い議論が展開されている。そこにはいくつかの興味深い理論的な問題がある。それを解こうとすると、以外に議論は深く、面白い。

 「ダイナミック・ケイパビリティ」という概念を簡単に使って終わるか、それともそれを取り巻く理論的な問題に首を突っ込むか。

 私は、日本いるときは、たぶん前者だったのだが、こちらにきて後者になっている。しかし、このような研究だけではなく、日本で展開していた不条理の議論やキュービック・グランド・ストラテジーの議論なども英語で展開したいと思っている。

 しかし、問題は英語の能力だ。

菊澤 研宗: 戦略学―立体的戦略の原理

菊澤 研宗: 戦略学―立体的戦略の原理

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

2012年10月19日 (金)

懐かしい洗剤不要の洗濯機(挑戦的イノベーション)

 10年ぐらい前に、三洋電気が洗剤を使わない洗濯機を開発して話題になったことがある。その後、どうなったかわからない。少なくともいまは聞いたことも見たこともない。しかも、三洋自体がいまはパナソニックの中にある。

 当時もすごいと思ったが、いまも凄いと思う。その発想がすごい。元気があったころの日本の家電業界を思い出す。ソニーのアイボもそうだ。こちらで、英語の勉強をしていたら、(It is likely that)例文で、「犬や猫の代わりにロボットがペットになりそうだ」という文があったが、これはアイボのことだろうと思った。

 いずれも、結果的には成功しなかったのかもしれないが、その発想がすごいし、面白い。日本企業に頑張ってほしいものだ。このままだと、日本の柔道と同じなる。

 ある有名な柔道の選手がいいっていたが、昔は日本選手というだけで対戦相手は怖がってくれ、ビビッてくれたが、最近はそれがなくなりつつあるということだ。

 日本の企業も、かつては日本企業というだけで製品は良いし、何か新しいものを作り出してくれるという期待があったが、それが薄れつつある。逆に、アップルやサムソンなどは最近は怖い存在である。なにをしてくるかわからない。サムソンなんかは、独自にOSを開発してくるかもしれないようなイメージをもつ。これに対して、日本企業で独自OSを開発してくるような恐ろしさをもつ企業は見当たらない。

 これが、私が『戦略学』や『戦略の不条理』で述べているキュービック・グランド・ストラテジーである。アップルやサムソンは、物理的な技術力以上のものをもって戦略的に行動しているように思う。(意図的ではないかもしれないが)

 

菊澤 研宗: 戦略学―立体的戦略の原理

菊澤 研宗: 戦略学―立体的戦略の原理

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

2012年10月13日 (土)

組織研究者の机上の空論とは

 私のような経営学者が組織について語るとき、ときどき企業の方々の中には「学者の議論など机上の空論だ」とか、「会社での経験もないのに」とかいう人がいる。

 

 私は、そのことを否定しない。その通り。

 しかし、経営や組織という研究分野はありがたいことに、理科系の学問と異なり、机上の空論を展開するのは実は難しい。ほとんどの経営学者は大学組織に属しているからだ。しかも、学会という組織にも属している。

 

 もちろん、営利組織と非営利組織の違いはあるが、組織の本質は変わらない。大学組織でもリーダーは必要だし、能力のある経営者は必要だ。大規模で学部をたくさんもっている大学などは、事業部制組織の企業が抱える問題と同じ問題をもつ。

 

 だから、「先生は企業で働いたことがないのによく組織の研究ができますね?」といわれると、実はとても違和感を感じてしまうのだ。

 

 私はいくつかの大学を経験してきた。だから、普通の企業人よりも組織についてはかなり多様な経験をしているつもり。大学組織は予想以上にドロドロしているものだ。人の足を引っ張る人もいる。政治的な教員が多い大学もある。しかも、たくさん学会にも入っており、そこでもおもしろい組織現象を経験している。おそろしい駆け引きもある。

 

 だから、組織に関して机上の空論を展開している先生がいるとすれば、その先生はすごい人だと思う。私など、多様な組織にもまれて泥まみれな人間だ。むしろ一つの企業組織に属している方の方が純粋に見えるくらいだ。

菊澤 研宗: 組織は合理的に失敗する(日経ビジネス人文庫)

菊澤 研宗: 組織は合理的に失敗する(日経ビジネス人文庫)

『組織の不条理』の文庫版

菊澤研宗: なぜ「改革」は合理的に失敗するのか 改革の不条理

菊澤研宗: なぜ「改革」は合理的に失敗するのか 改革の不条理

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

2012年10月 8日 (月)

理系と文系:思ったよりも壁が厚い文系

  今年も、トムソン・ロイターからノーベル賞の予想がでました。日本人は3名です。その他、文学賞には村上春樹、医学賞に山中教授の前評判が高いようです。日本は頑張っていると思います。経済学賞では、エージェンシー理論やファイナスのRoss や行動経済学のシラーが出てます。

http://ip-science.thomsonreuters.jp/press/release/2012/2012-Citation-Laureates/

 

 世界的に有名な日本の研究者はほとんど理系だ。社会科学はほとんど全滅。日本の社会科学者はダメなのか?結果を見るとだめなのだ。

 

 しかし、文系の人間がもともとダメかというと、大学入試レベルでいえば、上位の大学に関していえば、私の経験では理系にいった学生よりも悪いわけではない。文系でも数学はできる学生は多い。法学部や経済学部に入っている学生の中にはかなり優秀な学生も多い。

 

 しかし、その後ががだめだ。まず、法学部、法体系が国によって全く異なるために、そもそも世界的法学者というものが存在しない。経済学、一時(60年代、70年代)、数理経済学が盛んなころ、米国の有名ジャーナルに日本人は登場した。しかし、その後、反数理経済学的な流れが起こり、その後は音なし。経営学、1990年代の野中先生以外は音なし。

 

 やはり、言語の壁は厚いのだ。英語という壁。私の場合、才能がないので、日本で日本語に迷うことなく論文を書くことができるようになるのに10年以上かかった。いまだに迷っている。力が入ると、「である」ばかりになってだめだとか、接続詞をどう使うか、段落は多い方がいいのか、などなど、迷ってしまうのだ。

 

 こんな経験をしている人間にとって、英語で論文を書くなんて、もう絶望的だ。だから、いま日本人でジャーナルに載るのは大抵書くパターンが決まっている計量的な論文だ。結果重視だからだ。理論的な中核部分に関する論文の掲載は難しい。欧米の学者もその点は厳しいのだ。

 また、今の社会科学、とくに日本の経営学分野などは人間関係が錯綜している。しかし、私が思うには、実は状況はアメリカでも同じだ。結構、ドロドロしている。経済学の方はまだすっきりしていると思う。しかし、それでもいろんな人間関係があるだろう。

 壁は本当に厚い。いま文科省は小中高の英語教育に力を入れ始めているが、今後文化系学者の研究の国際化を促進するような政策を行う場合、ぜひとも積極的に翻訳に対しても補助金をつけてほしいと思う。そんな無駄なと思う人も多いかもしれないが、言語の壁は相当厚くて高いと思う。

 

 そうでないと、良い論文をお金をかけて英語論文にするよりも、日本語で論文を書き日本で頑張った方が合理的という不条理に陥ってしまうのだ。しかし、これはいいわけかもしれない。とにかく、日本の理科系の研究者は頑張っているし、凄いのは間違いないと思う。

 

2012年10月 7日 (日)

9月は辛い月だった。

9月は辛い月だった。ティース教授とダイナミックケイパビリティの英語論文について議論するとともに、日本に残していた(忘れていた)いくつかの仕事、論文を一挙に書いて提出した。また、いろんな事務手続き上の問題もあり、本当に苦しい月だった。

何とか、運よく、どれも解決し、やっと少しだけ平和な10月を迎えている。しかし、まだまだたくさん仕事や問題がある。米国に来て楽できると思っていたが、そうでもない。かなりきつい日々を送っている。しかし、この経験は貴重だと思う。これから先の10年にとってきっと実りある経験になるだろう。

20代に苦労しておくと、それが30代になって花開く。30代の苦労は40代に花開くものだ。そう信じて頑張っているが、この先、どうなるかわからない。

今日もサンフランシスコは晴れだ。頑張りたい。

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