震災から1年 悲しいお話
若いときは、経験が少なく、理論的な知識があっても、実践的知識がなかったせいか、いろんな現象やいろんな話を聞いても反応は鈍かったが、年をとると、すぐに反応してしまう。
昨年の震災からもう1年になる。いろんな不幸が発生した。関東にいると、現象をマクロ的に見てしまう。そうすると、現象をどうしても数値的に把握したくなり、その結果、人間は現象を物理的に見てしまうものだ。
しかし、そこにはたくさんのミクロな事件が起こっていることに注意しなければならない。
私は、フェイスブックをあまり利用しないのだが、本日、瀧本さんが紹介している悲しい記事を、川村さんが発見し、それを紹介してくれたので、ここでもぜひとも紹介したい。
それは、昨年の震災で、二人の姉妹が死ぬ寸前に、携帯のバッテリーも少なく、父親にメールを出したメールの内容である。妹が死に、その後、姉もなくなったのだろう。とてもつらくてせつない内容だ。父親としては、本当につらいメールだ。二人とも生きていたら、今春、大学生と高校生になっていたのかもしれない。
「もうバッテリがないよ
痛いと言わなくなったので
妹はさっき死んだみたいです。(T。T)
埼玉はだいじょうぶですか?
またお父さんと一緒に
ディズニーランドに行きたかったです
お父さん 今までありがとう
だいすきなお父さんへ
本当にありが
享年 長女17才 次女14才 」
もっと知りたい人は、瀧本さんのページへ。
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