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2012年3月

2012年3月31日 (土)

米国で仮免をゲット

米国に来てから、あまりにもたくさんのことがあり、ひとつだけ時間との戦いがあった。車の免許である。

カリフォルニア州は、国際免許の有効期間が入国後14日間、そして車を譲り受けた場合、5日以内にDMV(ドライビング・モーター・ヴィークル)に登録しなければならない。

今日がその期限であり、同時にペーパー試験を受けた。1問だけ間違えた。無事、仮免を得た。今度は実技だが、少し練習してから挑戦しようと思う。

日曜日からはティース教授の5日間集中講義があるので、今度はそれに集中したい。さらに、ティース教授が気になっていた日本企業の記事を簡単に翻訳して、渡そうと思っている。

明日は久しぶりの休みである。とにかく、疲れた。

2012年3月30日 (金)

ティース教授と初対面

 今日、ついにティース教授に会う。ティース教授のコンサルティング・ファームはすごい。ビルの最上階のフロアー全部使っている。

 緊張して部屋で待っていた。部屋からはゴールデンゲイトブリッジが見える。そこに、ティース教授がやってきた。

 優しそうな顔で迎えてくれた。私は、日本からのお土産を渡した。それをとても喜んでくれた。その後、ティース教授は、私にダイナミックケイパビリティの本をくれた。私はもう買いましたといったら、これは新しいバージョンの本だよといった。確かに、ペーバーバック版で、新しい序論があった。

 それから、私のバックグランドや家族の話、そしてこれまでの私の日本での研究について説明し、いま野中先生と共同研究している論文の英文を渡したところ、とても興味深く、見てくれた。驚いた。

 さらに、その後、ダイナミック・ケイパビリティの話をした。私の解釈を説明したところ、いろんな議論をしてくれた。また、私がいくつか日本の事例を示したところ非常に関心をもってくれて、その日本の事例をメールで送ってほしいといってくれた。

 多分少し関心をもっていただいたようで、「ここのオフィスでもビジネススクールのオフィスでもいつでもいいから来てくれ」といってくれた。今日は、1時間があっというまに過ぎた。いい先生だった。

来週から、ティース教授の講義が5日間集中で始まる。楽しみだ。講義の録音の許しももらった。さらに、大胆になって、写真までとってもらった。

 その写真がこれだ。1枚だけ紹介しよう。ティース教授がコンサルティング・ファームの名前の下がいいといって写したものだ。

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2012年3月29日 (木)

米国ではじめての運転

やっとすべてがうまく回りだした。部屋もらえ、証明書ももらえそうだし、インターネットももう一息。

プログラムマネージャーのアニタは今日もやさしく教えてくれた。全部うまくまで、がまん、がまん。といってくれる。ありがたい。

そして、明日は、ティース教授と初対面だ。アポイントメントがとれた。彼のコンサルティング会社で会う予定だ。車でくるなら、どこに止めてもいいというメールを秘書からもらった。いろいろと心配だが、うれしい。

しかし、こういったときに限って、問題が起こる。

昨日、ケーブルテレビが突然みれなくなった。原因不明だ。焦った。いろいろとボタンを押すがわからない。CITIバンクからチェックも来ない。まずい。さらに、金曜日までに、車の登録をしなければならい。問題がやま積み。

しかし、今日、いろいろとテレビのスイッチを触っていたら、突然、ケーブルテレビが映った。神は見捨てないものだ。

また、今日、はじめて車に乗って、アパートの周りを運転した。まだ不安だ。私は日本ではプリウスに乗っているので、ガソリンエンジンの感覚になれないのだ。右側の幅がまだ感覚的にわかりずらい。それから、十字路で、どちらが優先道路かわかならい。今日は、簡単な右回りを練習し、明日からは左周りに挑戦してみたい。疲れる。

明日は、IDを作り、研究室で研究し、4時からティース教授に会う。どきどきするなあ~

2012年3月28日 (水)

ハース・ビジネス・スクールは温かい

 やっと、プログラムマネジャーとアポイントが取れて、本日、会った。良い人だ。英語もわかりやすく、私をせかさない。

 いろいろと驚いたことがある。私はいまから20年前にニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスに留学した。そのときは、もちろん部屋はなく、スポンサーの先生の部屋で勉強してくれといわれた。とにかく、大学が狭いので、余分な部屋などはなく、コピーはOKで、図書館もOKという感じで、ほとんど大学にはコミットできなかった。スポンサーの教授の授業だけでていた。

今回もそういった感じで、図書館だけ利用できればいいと思っていた。しかし、なんと部屋がもらえた。「今は、共同だが、がまんしてね。相手は数か月後にでていくから」といっていた。私にとっては、話せる教授がいて、むしろいい感じだ。しかも、特別室だ。

しかも、コピーもファックスも可能で、お茶も飲んでいいということだった。さらに、冷蔵庫も共同で使えるということで、本当に訪問研究員になった気分だ。とにかく、プログラム・マネジャーも優しくいい感じだ。

受付のおばちゃんも私の顔を昨日覚えたようで、今日も会ったらにっこり笑って手を振ってくれた。

4月1日からティース教授の集中講義がはじまる。その前に、ティース教授に会いたいと、プログラムマネジャーにお願いしたら、やってくれるということだった。何か、だんだん楽しくなってきた。後は、私の英語能力だけだ。

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2012年3月27日 (火)

アパートに入居

本日から、アパートに入居。快適だ。不安だったインターネットもガスも電気も、うまくいった。

今日は、ビジネス・スクールのプログラム・マネジャーと会う予定だった。書類を渡し、短い説明を聞く予定だった。しかし、すっぽかされた。やはりアメリカだ。

私などは、日本人なので、時間ぴったりに部屋にいった。それまでビジネススクールの建物の中をうろうろしていたくらいだ。

しかし、今回はいいこともあった。そのマネージャーがいる部屋がわからずうろうろしていたら、MBAの学生が近づいてきてくれて、その部屋まで案内してくれた。私も予想がついていたが、時間が早かったので、うろうろしてたのだ。しかし、安心したのは彼の英語が聞き安かったことだ。頭もよさそうだった。

それに安心した。これまで、いろんなお店に入ったが、どうみてもそこにいる学生が頭がよさそうに思えなかったからだ。それから、女性の学生にも助けてもらった。写真を撮るために、ズボンのポケットからカメラをだしたとき、ホテルのキーカードを落としていたのに気付かなったが、後ろにいた女性の学生が拾ってくれてもってきてくれたのだ。この子の賢そうだった。

さて、話はビジネススクールに戻る。会う予定の人がいる部屋に入ると、年配の女性が受付をしていた。相当の年だ。英語は聞きやすかった。しかし、私がアポイントをとっていた女性がいないことがすぐにわかった。メールでもういちど連絡してくてほしいということだった。

あ~なかなか予定通りにいかないものだ。その女性に日本からもってきたおみあげを渡そうと思ったが、考えてしまう・・・・

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2012年3月26日 (月)

ホテル最後の1日

アパートの契約も終わり、今日がホテル最後の日だ。ホテルは照明が暗くて勉強ができない。また、掃除が気になって部屋に長いできない。

明日は、ビジネス・スクールのマネージャーに会う。はたして英語がまともに聞き取れるが心配だ。こちらに来て、完全に自身喪失なのだ。とにかく、いろんなお店でせかされるので、うまくいかないのだ。

今日は、K先生にアパートの近くについていろいろとお教えいただいた。完全に把握していないが、周りにはいろんなものがそろっていていいところだ。

後は、自動車の所有権を移行するために、DMVに車で行かねばならない。これが問題だ。

2012年3月25日 (日)

平和な一日

本日は、米国に到着後、はじめて何もない日であった。なぜか。何も挑戦しなかったからだ。

しかし、ささやかな挑戦はした。スターバックスで本を読んだ。これまで頭がざわざわして本など読めるものではなかったので、これは進歩であった。私のスポンサーになってくれたティース教授の本である。何かやる気がでてきた。

そして、私の心の中で悪魔の自己正当化が起こった。「私がこちらに来て英語についていけないのは、雑な英語をきかされているからだ。アカデミックな世界にいけば、もう少しついていけるかもしれない」

もちろん、これは、私の妄想である。英語の能力がないのだ。

さて、こちらでは、多くの学生や一般人が茶店で勉強している。しかし、今日は、座席が悪く、横にいた黒人のカップルが持ち込みの固いお菓子をガリガリ食べながら大声でおしゃべりしていたので、私の前にいた米国の学生もいらいらしていたし、私自身もいらいらした。彼らは、UCバークレーの学生なのかなあ~?

そして、他の人のマネをしてコンピュータを使ってみた。どうしたらネットに接続できるのかわからない。電波は流れているのだが・・・ダメだった。

それからこちらに来てわかったことがある。

前にも書いたが、ここでは韓国人や中国人に押されて日本人は少ない感じがする。しかし、それでも向こうから歩いてくる人が日本人かどうかを見分けることができる。日本人は、大抵、目を合わせないように顔を横にそむけるのだ。彼らはきっと日本人だと思う。

今日は、サンフランシスコは雨だ。寒い。

2012年3月24日 (土)

4日目は地獄

今日は、アパートの契約をした。そこまでは何とかよかった。

次に、インターネットとテレビの契約に直接支店にいった。そこでも、なんとかことがうまく運んだかのように思えたが、店員が最後に、紙をくれて、ここに電話をしろという。意味が分からなかったが・・・

ホテルに帰って、そこに電話したところ、会話がなにがなんだかさっぱりわからない。とにかく、こちらの電話番号を聞いてきたので、それに答えた。その後、意味不明となる。これだけ意味不明な会話も初めてだ。相手もそうだろうと思った。日本語でもネットのことはよくわからないのに。

とにかく、1%の理解から大胆な推測すると、部屋にある設備をつかえばつながるようなことを言っているように思えた。だめだったら、直接、支店に足をはこぶしかない。

次に、電気とガス会社に電話した。先ほどのネットの会社でもそうだったが、日本でもおなじみの・***は番号1、***・は番号2・・・・は番号3、私の要件は3だったので、3を押したのだが、まったくつながらない。そのまま解説だけがながれている。困った。

結局、ホテルのフロントに聞いて直接支店にいった。

しかし、その黒人女性職員もまた早口で、こちらをせかせるので、こちらはもたもたしてしまう。まるでしかられているような気分だ。声が小さいといわれて、彼女も聞いていたCDを止め、しかも隣の隣でイスラム系の女性がその会社の電話を使って大声で話しているのだが、その電話をその女性職員がやめるように怒っている。やつあたりだ。

いろいろと、脅されながらも、今回は、なんとかうまくいったようだ。

その後、ハワイアン系のお店で、うどんをテイクアウトして、ホテルで食べたが、もうまずくてまずて食べれない。最初は、ロコモコを注文しようしていたが、メニューにうどんがあったので、それに変更したのが間違いだった。

そして、こんな時に限って、間違い電話がかかってくる。最初は、電気会社かあの意味不明な会話をしたネット会社かと思ったが、間違い電話だ。向こうも間違いをすぐに認めない。もう一度かけるから、待っていてといってきった。また、かかってきた。今度は、間違いを認めた。この会話は聞き取れた。

もう泣きっ面に蜂がきて、ウンコを踏んだ気分だ。

今日は地獄だった。

25日に、アパートに入居する。その後は、車をめぐる地獄が待っている。一人で車で自動車教習所までいかねばならない。とても不安。とにかく、左ハンドル・右側通行が不安なのだ。

明日は、嵐の前の一日で、少しは自由に動けるかもしれない。今日も、英語についていけなかった。だめだ。

2012年3月23日 (金)

滞在3日目

滞在3日目。いまだ英語のスピードについていけず。今日は、バークレーではおそらく有名だと思われるカフェーに入った。

ここでは、はじめに注文して名前をいう。そして、コーヒーができたら名前で呼ぶというお店だ。

私は、何を注文していいかわからず、the coffee of today と書いてあったので、本日のコーヒーだと思い注文した。ところが、カウンターの店員がなぜか私の発音が「カフェオレ」に聞こえるらしく、結局、カフェオレにした。いや、させられた。

さらに、「名前は?」といわれ、私の名前も難しいので躊躇したが、「キクザワ」というと、やはり名前を打てないようで、結局、適当に処理された。

カフェオレができたとき、どう呼ばれるのかと思っていたら、名前ではなく、「カフェオレ!」だった。次は、「カフェオレ」で「Kenshu」でいきたい。しかし、ここのコヒーはおいしい。

それから、本日、携帯電話を購入した。まだ使い方がわからない。プリペイド式だ。スマートフォンではない。お店でいろいろと教えもらったが、ためしに番号を打ってみたら、指がすべって、どこかに電話がかかってしまって、店員が大慌てでストップした。

その後、大学の周りを探索した。何か不思議な町だ。ギターを持っている人が路上で座っている。60年代の学生運動時代だ。

もう一点、20年前、ニューヨーク大学にいったときと比べて、異なることがある。意外に日本語が聞こえないことだ。ニューヨークでは、あちらことらで日本語が聞こえた。当時は、バブル末期だったせいか、日本人が多かったし、もともとニューヨークは日本人が多い町でもあった。

ここなら英語の勉強ができるかもしれない。

とにかく、失敗すると、声が小さくなり、人と会いたくなくなるという悪循環を断つ必要がある。あえて失敗し、あえていろんな場に顔を出す必要がある。

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2012年3月22日 (木)

2日目から問題発生

米国滞在2日目、いまだ英語のスピードについていけず、本屋で本を購入したが、Would you like bag?がWould you like Bank?に聞こえてしまう。あ~だめだ・・・

さて、本日、シティバンクで口座を作った。予想外だったのは、テンポラリーキャッシュカードはもらえたが、テンポラリーチェックをえることができなかった。そういった仕組みになったのか、私に問題があったためか、わからないが、下手な英語で、本日、チェックをもらいたいとしつこくいったが、だめ・・・アパート契約が少し面倒になった。

その後、バークレー校内を歩き、ハス・ビジネス・スクールの位置を確かめた。日本と異なり、学生がたくさんいて非常に活気がある。なんとなく、1960年代の学生運動の熱気なども残っているような感じだ。

また、マックにも入ったし、コヒー店にも入ったが、面白いのはヒッピーのような人が難しそうな本をもっていたり、読んでいたりすることだ。まさに、ひとは見かけによらずという感じだ。これも60年代のなごりか?

いずれにせよ。本日も疲れた。

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2012年3月21日 (水)

無事バークレーのホテルに到着

無事、サンフランシスコに到着。飛行機からみたサンフランシスコは白く美しく見えた。タクシーでバークレーのホテルへ。途中で、海の向こうの方にゴールデンゲイトブリッジがうっすら見えて、美しかった。

そして、ホテルに到着。フロントの英語の速さについていけず、しょっぱなからビビッてしまった。

このホテルのエレベーターは、キーを入れてから降りたい階のボタンを押すシステムだ。つまり、キーを持っていない人はこのエレベーターを利用できないシステムなのだ。

このようなホテルは、10年前ワシントンDCにいったときに宿泊したホテルと同じだ。

もう夕方なので、ホテルのまわりを1周して眠る予定。明日は、銀行で口座を開く予定である。

2012年3月17日 (土)

壮行会

後数日で、日本を出国し、米国へ。目指すは、カリフォルニア・バークレー。そこで、デイビット・ティース教授に会う予定なのだが、楽しみと不安が交錯している。

ここ連日、いろんな方々が壮行会を開いてくれている。学部学生、大学院生、社会人学生、その他、もろもろ。みな忙しいのに、ありがたいことだ。こういった人たちは、基本的に何の利害もなく、会を開いてくれるので、本当にありがたい。

これまでいろんな会(懇談会、委員会、学会など)に参加してきたが、ときどき、変な人たちもいる。こういった人は会ったとたんにわかるものだ。「ああ、この人は何か利害をもっているんだなあ~」と。がっくりする。

それはどういう人か?ドラッカーのいう「真摯さ」がない人。カントのいう「人を自分の目的達成の単なる手段とする」人だ。

今回、いろんな壮行会を開いてもらい、私は本当にいい人たちに囲まれていると実感した。

経営哲学学会: 経営哲学の授業

2012年3月 8日 (木)

今の時代は・・・と社会学者いうけれど

現代社会の最新の傾向について、最初に語ってくれるのは、社会学者と呼ばれる人たちだ。若者論、幸福論、ニートなどなど・・・・

こういった社会学者たちの主張の一つとして、よく言われることのひとつが、これである。

昔とちがって最近の日本は個人主義化し(昔は核家族化してというのだろうか)、近所付き合いがなくなったために、孤独死が発生している。

つまり、孤独死という現象の説明(原因)を社会の特徴に求めることになる。だから、社会学者なのだ。

確かに、そうかもしれない。

しかし、経営経済学者は異なる視点をもつ。

実は、このような孤立した家族や個々人を対象とするサービスが地方自治体にあり、そこには当然それを担当する職員がいるはずである。

彼らは、そのような世帯や家族に対して熱心に対応するコストがあまりにも高いので、ルールに従いながらも適度に手を抜いて人々にアプローチしているのではないかということである。不条理だ。

つまり、本来ならば、社会倫理的に扱うべき問題を官僚は経済学合理的にアプローチしているのではないか、と疑問に思うのだ。したがって、官僚のみなさん、がんばってくださいということになる。

こういった見方をするので、経済経営系の学者は嫌われるのでかもしれない。

経営哲学学会: 経営哲学の授業

震災から1年 悲しいお話

若いときは、経験が少なく、理論的な知識があっても、実践的知識がなかったせいか、いろんな現象やいろんな話を聞いても反応は鈍かったが、年をとると、すぐに反応してしまう。

昨年の震災からもう1年になる。いろんな不幸が発生した。関東にいると、現象をマクロ的に見てしまう。そうすると、現象をどうしても数値的に把握したくなり、その結果、人間は現象を物理的に見てしまうものだ。

しかし、そこにはたくさんのミクロな事件が起こっていることに注意しなければならない。

私は、フェイスブックをあまり利用しないのだが、本日、瀧本さんが紹介している悲しい記事を、川村さんが発見し、それを紹介してくれたので、ここでもぜひとも紹介したい。

それは、昨年の震災で、二人の姉妹が死ぬ寸前に、携帯のバッテリーも少なく、父親にメールを出したメールの内容である。妹が死に、その後、姉もなくなったのだろう。とてもつらくてせつない内容だ。父親としては、本当につらいメールだ。二人とも生きていたら、今春、大学生と高校生になっていたのかもしれない。

「もうバッテリがないよ
痛いと言わなくなったので
妹はさっき死んだみたいです。(T。T)
埼玉はだいじょうぶですか?
またお父さんと一緒に
ディズニーランドに行きたかったです
お父さん 今までありがとう
だいすきなお父さんへ
本当にありが 

享年 長女17才 次女14才 」

もっと知りたい人は、瀧本さんのページへ。

http://www.facebook.com/?sk=h_chr#!/photo.php?fbid=250158731739869&set=a.208322132590196.52385.100002372316576&type=1

2012年3月 6日 (火)

『三田評論』の座談会での司会

 昨日、『三田評論』5月号の座談会に参加した。テーマは日本のコーポレート・ガバナンスであり、僭越ながら私が司会を担当した。法律の先生、会計の先生、そしてファイナスの先生、さらに金融の専門家の方々と議論をした。

 

 議論は、意外に面白かった。あまりもばらばらなので、はじめはどうなるかと思ったが、実はかなり実り豊かな議論ができたように思える。このまま議論を続ければ、相互にもっとも学べ、そして新しい知見が得られるような感じでもあった。

経済学者である亀川先生の議論は一貫していたし、八田先生の会計学的な議論も非常にするどく、面白かったし、いろんな知見を得ることができた。また菅原先生の法律的な議論も魅力的だった。さらに、矢島さんの銀行についての議論もとても興味深いものだった。

 しかし、どんな議論も時間に限界があるものだ。この座談会の内容については、『三田評論』5月号をぜひ見ていただきたい。これが発行されるときには、私は米国にいるかもしれない。

『三田評論』

http://www.keio-up.co.jp/mita/

経営哲学学会: 経営哲学の授業

2012年3月 4日 (日)

AIJ問題と社保庁

AIJ問題には、あきれた人も多いだろう。役に立たない官僚が、どこまでも民間企業を食い物にする典型だ。われわれの年金をしっかりと管理せず、ただ食い物にしてきたのだ。

http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY201203020846.html

一時代前は官僚はエリートで、優秀で、しっかりした人たちという印象があったが、いまでは何をやってもダメな人たちだという印象をもってしまう。ただ単に平均的にできて、Ⅰ種試験に受かったのだろう。

時代の流れを感じる。

経営哲学学会: 経営哲学の授業

あまりに忙しくて

最近はあまりに忙しくて、ブログを更新する暇もないほどだった。ゆっくりと休みたいのだが、時間がない。まさにあれもこれもだ。

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