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2012年1月16日 (月)

二つの自由の意味とネット社会

自由という言葉は誰でも知っているが、その意味を知っている人は少ない。実は、いろんな意味があるのだ。大胆にあえて、整理すると、以下の二つに区別できる。

(1)神様の自由(ヘーゲル的、全体主義的)

これは無制約になんでもできることが自由だという意味。

この自由の本当の意味について考えてみよう。まず、無制約という言葉に注目してみよう。制限がないというのは、たとえば無限に広がる空間をである。そのなかには、人間も動物も地球、火星も太陽もみんな含まれる。すべてのことであり、無制限な全体のことである。外に何もないので、無制約なのである。この無制約な全体ができることは、自らが自らを規定することだけである。これが全体主義の自由であり、全体とは、たとえば神さまであって、人間ではないのだ。

もし私の会社が巨大化し、外にライバルのない無制約な全体的な存在になるならば、その従業員である私もその無制約な自由の恩恵にあずかれる。だから、私は会社のために個人を犠牲にする、という全体主義の考えに至るのだ。

(2)人間の自由(カント的、個人主義的)

自律という意味での自由。他の原因にとらわれずに、自ら選択し、それを実行することを自由という。この場合、その選択された行為に失敗したとき、その行為の原因は自分にあるので、その自由な行為の責任も自分にあることになる。この意味で、その行為は道徳的でもある。

さて、私がいいたいのは、ネットの世界に対して規制を与えようとすると、(1)の意味での自由を持ち出す人が意外に多いように思えるのだが、どうだろう。(1)の意味で問題なのは、「責任」という概念が成り立たない点なのだ。

私は(2)意味の自由を支持している人間なので、(1)のような議論を展開する人々に違和感を感じるのだ。

最近、「ステマ(ステルス・マーケティング?ネットの匿名性を利用し、誤った情報をネット上に流して、ビジネス上の競争優位を得ようとするマーケッテングの方法)」という現象が起こっているが、この現象をめぐって批判的議論がでたとき、その本当の意味も知らないで、(1)の意味での自由をもちだして擁護する人がでてくるかもししれない。

しかし、私は、そのような議論を認めない。

経営哲学学会: 経営哲学の授業

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11)ポパーとカントの哲学」カテゴリの記事

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