大学センター試験の意味がわからない
今年の大学センター試験はトラブルが多い。準備不足やマニュアルの不備などいろいろでている。挙句の果て、大学教員の試験意識が薄いなどという意見も出ている。
●http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120123-00000077-jij-soci
私の時代は、センター試験はなかったので、よくわからないのだが、そもそも全国いっせいに同じ試験を行うこと自体が不思議だ。
たぶん文科省は個性とか多様性を重視しているように思うが、センター試験はそれとは真逆の発想だ。
昔のように、各大学が自由に試験を行えばいいのだ。まさに、多様だったのだ。いまは、センター試験の後は、子供たちがあたかも株取引や為替取引を行うように、自分の得点と各予備校が発表するデータをみて、予想を立ててリスキーな行動をとる。いったいこれはどういうことか?
そもそもセンター試験は何の役に立つのか?私にはよくわからない。わかるのは、ここまできたらやめることができないという不条理さだけである。撤退するには、多くの職員を首にしなければならない。天下り先もなくなるのかもしれない。まさに、ガダルカナル戦と同じで、後戻りできないのだ。交渉・取引コストが高いのだ。
昔は、確か「統一試験」と言っていたように思う。たぶん、国立大学が旧帝大の一期校と二期校に分かれ、差別があったので、統一試験を導入したとか、ドイツの大学入学資格試験(アビツアー)をマネしたとかいっていたが、結局、いまはその意義も薄れて、名前も「センター試験」だ。
こいう体制はいつまで続くのか。いま秋学期入学が問題になっているが、この試験システムも問題なのではないか?しかし、変革コストはあまりにも高い。不条理な世界だ。
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