今村均と多元論的世界観
私は、晩年、K・R・Popperが提唱していた世界3という多元的実在論が好きだ。それは、世界が三つの実在世界に区別でき、それぞれ相互作用しなから、成長するという世界観だ。それは、哲学であって、経験科学ではない。
世界1=肉体、物質など人間の5感でその実在が確認できる世界
世界2=心の世界、意識の世界
世界3=知識、理論、権利、制度など人間の知性によってその存在が確認できる世界
三つの世界は相互に重なりあるとこともあるが、一致することはない。しかも、相互に相互作用し、そして相互に成長する。これがポパーの多元的世界観だ。
さて、このような世界観に立つと、今村均などの旧日本軍のすぐれた将軍の行動が否定できないくなるのだ。
確かに、旧日本の軍人の行動には問題がったと思う。しかし、日本人としてのプライドをすすててまで生きろというのかといって、自害した日本人はどうだろう。今村均もまた、自決した。幸い、自決がすぐに発見され、彼は死ぬことはできなかった。
おそらく、多くの人は、そんなプライドのために死ぬなんてと、恥のために死ぬなんてと、やはり昔の日本の軍人をバカだったというのだろう。だから、今村均も聖将と呼ばれるが、やはりばかな日本軍人の一人にすぎないというかもしれない。
しかし、私はそうは思わない。
このような考えは、物質一元論者(唯物論者)なのだ。唯一、肉体、モノだけが存在し、価値があるという存在論に立つ人だと思う。だから、心という世界2、プライド、信念、倫理、制度、ルールなどの世界3の実在性や価値を認めないのだ。
ポパーの多元的実在論に立った場合、人間は三つの世界の住民なのである。単なる肉体的存在ではないのだ。だとすると、自らの世界2と相互作用する世界3の実在性や価値を否定された場合、やはり人間としてはつらいのだ。
今村均によると、
「わが国は、第一次世界大戦のときは、勝った方の連合国に加担し、犬馬の労を取った。そして、平和会議のときに報いられたものは、伊豆半島よりも小さい、諸島の委任統治権だけ、わが海軍が守った独領ニューギニアではなかった。・・・・・のみならず、我が国が・・提案したたった一つの条件”有色人種差別待遇の撤廃”は・・・米英仏巨頭により踏みつぶされた。・・・・・・・日本民族はどうすればいいのか」
戦後収容所で今村が自決したとき、日本人をあたかも動物のように扱う豪軍の扱いに怒りと涙していたのだ。
私は、ポパーの多元的実在論に従い。われわれの肉体と同じくらい、われわれの心理も実在する。われわれの肉体と同じくらい、倫理や知識も実在するといいたい。これらが否定されたならば、肉体も意味がないという今村将軍の気持ちがわかる。
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