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2011年10月20日 (木)

米国帰りはなぜポケットに手を入れるのか

 以前から、気になっていることだが、米国の大学に留学し、そして博士号を取得する。そして、日本の大学に就職しようとする人。あるいは、単に米国の大学に数年留学して、日本の大学に戻ってくる人に共通する行動がある。

 学会発表やプレゼンテーションを行うときに、なぜかズボンのポケットに手をいれて、いかにも自信ありそうに話しをすることだ。

なぜか。本人たちに聞いたことはないのでわからない。

 しかし、面白いことだが、このような態度は大抵日本の学者にはうけない。マイナスであり、悪い印象を与えるので、日本の大学に就職する場合には、やめた方が賢い。とくに、面接試験があり、教授陣の前で、模擬授業を行うときにはやめた方がいい。というのも、なぜ彼がだめなのかと私が聞いたとき、私の周りには、「彼は手をポケットに入れていたので・・・」という人がかなりいたからだ。

 私自身は、もう年をとっているので、こういうプレゼンには慣れており、「またか」という感じで受け止めている。だから、そのような態度についてとく関心はない。ただ、私の知り合いの日本人は、以下のような印象をもつようだし、私もそのように思う。

●昔、大学紛争時代、政府権力に反抗し、自由意志の表示の一つとして、米国や欧州帰りの先生はジーンズをはき、規制観念を壊すように、手をポケットにいれていたが、いまはそんな時代ではないので、単にだらしのない人という印象。

●ノーベル賞級の論文をすでにアカデミックな雑誌に発表しており、もうこの人にはかなわない。なんでも好きにやってくれ。それでも話を聞きたいという人なら、ポケットに手をいれていても問題はないが、たかが海外で長く勉強してきた程度で、その態度はいかがなものか。それだったら、米国の大学にいればいいという印象。

●自分は英語が得意なので世界を相手にし、みなさんのように日本だけを相手にしていない。それゆえ、自分の方が上なので、自分が先生として教えてあげているという印象。

●単に、米国人のだらしのない習慣を無批判に身につけてきた人という印象。

その他、・・・・いろんな印象を日本人はいだくだろう。

日本人は、やはりノーベル賞級の研究をしながらも腰の低いプレゼンをする人が好きなのだろう。そんな人はいるのか。昔でいえば、東大の根岸隆先生などはそうだったように思う。多分、野中先生も。

そんな私も米国にいくのだが、帰ってきたらポケットに片手を入れているかもしれない。それどころか、左右二つのポケットに左右の両手をそれぞれ入れているかもしれない。私などは、性格が悪いので、あえてやってみたいほうなのだ。それでも私は大丈夫。すでに就職しているので・・・・・

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