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新制度派経済学と限定合理アプローチの本

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2011年9月17日 (土)

なぜ企業は利益最大化だけではだめなのか?

 学会、そして、ゼミ合宿が終わった。疲れた。

 ところで、最近、私は学会でも論文でもドラッカーの話とともにカント哲学について説明するようにしている。なぜかというと、企業は、ある程度、利益最大化をめざしてもいいのだが、それがすべてではないということをいうためである。

 では、なぜ利益最大化だけをおこなってはまずいのか。私の答えは簡単だ。われわれ人間は不完全だからだ。

 もしすべての人間が完全合理的ならば、新古典派経済学が説明する通りに、だれも相手をだましたりすることはできないし、駆け引きすることもできないので、一人ひとりがひたすら利益最大化すれば、市場取引を通して資源は正しくかつ効率的に配分され、社会的にみて無駄のない経済社会が形成されるだろう。

 しかし、人間は完全に合理的ではない。限定合理的なのだ。したがって、人は利己的利益を最大化するために、相手をだましたり、駆け引きしたり、脅したりできるのだ。つまり、不正に個別利益を追求することができるのだ。そうすると、資源は効率的に配分され、利用されない。ずるい人に資源が配分されたり、権力や暴力で資源が配分されたりする。市場取引も起こらないかもしれない。まさに、新制度派経済学が対象とする世界が現実の世界となる。

 

 ここで、新制度派経済学は、それでも資源を効率的に配分するために、制度が必要だと主張する。制度やルールをデザインし、構築することによって、悪しき人間行動をある程度抑制できるので資源は効率的に配分されることになると主張するのである。

 

 しかし、制度によって完全に効率的に資源を配分するような経済システムを形成することはできない。制度形成にはコストがかかるからである。とくに、完全に効率的な経済システムを制度で保証するには、もっともコストが高いだろう。

 

 このコストの存在を考慮すると、完全な制度形成ではなく、多少制度を緩める方が経済効率的なのだ。したがって、奇妙なことなのだが、完全効率的な経済システムを実現することは経済効率的ではなく、多少、不完全に効率的な経済システムの方が経済合理的となるのだ。

 

 この不条理は、一人ひとりの人間が経済的な利益最大化を目指すかぎり、陥る不条理なのだ。

 この不条理を回避するには、利己的利益追求以上の条件が必要になるのだ。すなわち、カントがいうように、「相手を自分の利益獲得のための単なる手段としてはならない」といった道徳原則が必要になるのである。

 つまり、効率的な資源配分システムを形成するには、

(1)多様な制度のもとに、一人ひとりが利益最大化を追求し、(制度と経済原理)

(2)しかも、そのために他人を単なるモノや手段としてはならないということ(道徳原理)

これである。

理解できただろうか。理解できない人は、菊澤は理論的な新制度派経済学をす捨てて、哲学へ立場を変えたのだなと思うのかもしれない。

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