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2011年7月11日 (月)

学者とビジネスマンの方法論争

 最近は、社会人学生が増え、そして社会人も学会に入会するので、昔と比べて学者と社会人との交流が多くなった。学会にも社会人が積極的に参加してくている。
 こうした状況で、学者の理論的な報告に対して、ときどき社会人は個人的な経験や体験からその報告が自分たちの体験や経験や感覚と違うということをしばしば発言する。
 ●統計的に処理された結果と自分たちの個別企業の実態とは一致しないという意見がある。これは、ありうると思う。この点は、研究者注意しなければならない。
 ●それからもう一つ、企業人はそもそもそんな考えのもとで行動していないという意見もある。この点については、論争的である。
 ●昔、ミクロ経済学(新古典派経済学)が仮定している企業の「利潤極大化仮説」をめぐって、会社の社長にインタヴーしてみたところ、だれも利潤極大化していないとか、限界収入とか、限界費用という概念も知らないという事実が明らかにされ、それゆえ新古典派経済学の企業理論は誤りであるという批判がなされたことがある。
 ●これに対して、ミルトン・フリードマンはそんなことは大した問題ではないといった。It's doesn't matter. 彼が言いたかったのは、企業人が利潤極大化していると仮定したとき、S1,S2,・・・という状況のもとでは企業はB1という行動をとることが予測でき、その通りに企業が行動すれば、その企業の社長が「自分は利益最大化していない」といっても大した問題ではないということである。外からみて、説明できればいいのである。
 ●たとえば、ある企業Aあるとする。Xを生産量だとすると、この企業の収益と費用は原価計算によって以下のようだとする。
状況
(S1)収入R=3X2-22X
(S2)費用C=2X2-12X
(X2:Xの二乗とする)
このとき利益πは以下のようにる。
π=収入-費用=X2-10X
ここで、この企業が利益最大化していると仮定すると、それを達成するXは(微分すればいい)
2X-10=0 つまり、X=5となる。
 ●ここで、もし状況(S1)(S2)のもとにある企業が実際に5を生産していたならば、その会社の社長が「私は利益最大化していない」といっても大した問題ではないのだ。社長の意識とは無関係に、その企業は利益最大化行動をしていることになるのだ。
菊澤研宗: なぜ「改革」は合理的に失敗するのか 改革の不条理

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