アカデミックな世界と非アカデミックな世界の違い
私は、大学院生のとき、よくこう言われた。一日で消えるような軽い本は書くな!長く残るようなアカデミックな本を書きなさい。きっと、いまもこう言われて研究している若い学者は多いだろう。
ところが、私の場合、アカデミックなではない拙著『組織の不条理』が10年以上販売され、アカデミックな本はそれほど残っていない。
また、大学院のときにはこう言われた。売れすじの軽い研究はするな!アカデミックな研究をすべきだ。きっといまでもこう言われて研究している若い学者は多いだろう。
私は、最近、ライトな本『なぜ改革は合理的に失敗するのか』という一般人向けの本を書いた。その前には、光文社新書『戦略の不条理』を書いた。いずれも、重い本ではないので、私は若い学者の手本にならないまったくダメな研究者なのだ。
ところが、今年、「ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レヴュー」で論文が掲載された。6月には、「一橋ビジネス・レビュー」に野中先生との共同論文が掲載される予定である。そして、先日は、経営学史学会全国大会の統一論題で報告した。また、6月には経営学会シンポジュムでも報告依頼されている。さらに、9月には経営哲学学会全国大会の統一論題で報告する予定である。この点でいえば、私はいくぶんアカデミックな研究者であるようにも思う。
こういうわけで、私にはわからないのだ。アカデミックと非アカデミックの違いが・・・・本当に困った人間だ。若い研究者には、私とは違った形で、頑張ってほしい。
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僭越ながら、アカデミックか非アカデミックかということは誰にもわからないことなのではないかと思います。
その判断は要するに未来の時点においてメインストリームになりうるかどうかということだと私は考えていますが、現時点での限定的な情報しか保持し得ない人間がのちのメインストリームを予知するのは不可能なんじゃないでしょうか。
だからこそ、最初は異端だと思われていた学問がのちに王道の地位についたり、メインストリームだと思われていた学問が根底から否定されたりといったことがたびたび繰り返されてきたのだと思います。
だから、両方の側面が同時に感じられるようなことがあっても必ずしもおかしいことではないように思いました。
投稿: 匿名 | 2011年5月26日 (木) 午後 10時16分
(結果的に売れるかどうかは別として)営利的な目論見抜きでのもの。
つまり、研究者としての内なる声が必要だと叫んだのでやったというようなもの。
そういうのがアカデミックと呼ばれるんじゃないでしょうか。
『なぜ改革は合理的に失敗するのか』を買いました。
企業内派閥について興味があったので。
もっと具体的に知りたいのですが、
企業内派閥の事例研究などご存じありませんか?
日本の企業と言えば派閥は付き物だという一般の認識だというのに、
政治はともかく企業の派閥研究はあまり見つかりません。
(塩村尊氏の派閥と意思決定に関する論文だけ論文検索で見つけました)
教えてください。
投稿: ぐれびっち | 2012年4月 5日 (木) 午後 11時47分
菊澤です。
コメントありがとうございます。
派閥の研究は少ないと思います。私も企業の派閥研究についてあまり知りません。
参考になるかどうかわかりませんが、2012年1月号『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』で、軍隊の例で派閥の論文を書きました。もちろん、内容は企業でも妥当する内容になっています。関心がありましたら、みてください。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006C26RAW/kikuzawakensh-22
投稿: 菊澤 | 2012年4月 8日 (日) 午後 10時23分