命令違反が組織を伸ばす by 菊澤
注水中止命令に対して、東電の福島原発所所長が命令違反し、自らの判断で注水し続けたというニュース。本当かどうかわからない。もしこれが本当だとすると、私は拍手を送りたい。東電社員も捨てたものではない。
この行動を組織を崩壊させるものとか、組織を無視するものだという人もいる。しかし、それは間違いだ。そのような考えは、人間が完全に合理的だという仮定にもとづく考えだ。
人間は明らかに完全ではない。それゆえ、上からの命令が常に正しくかつ効率的である保証がない。それは社会的にみて不正な命令かもしれない。人を殺せという命令かもしれない。それにもかかわらず、上からの命令を絶対的だとするような組織はすでに死んでいるのだ。
そういった組織が、個別合理性と全体合理性を乖離させるような行動をとるのだ。
上からの命令には、組織自体を死に至らせるような命令もある。それは、社会的にみて不正で違法な命令だ。そんな命令に従っていたら、その組織自体が崩壊するのは時間の問題なのだ。こんな事例を、これまでわれわれは何回見てきたことか。
赤福、吉兆、不二家、ミートホープ・・・・・・・・・・・
命令違反が組織を伸ばすのだ。ただ単に上からの命令に従うことは、楽で簡単だろう。そしてその行動が間違っていたら、上から命令されたからと責任逃れもできるだ。ナチスのアイヒマンのように。命令されたので、ユダヤ人を虐殺したというだろう。
そんな組織にならないために、命令を受ける一人ひとりが命令を受け入れるかどうか常に自問する必要があるのだ。・・・・・・・、この続きに関心のある人は、拙著『命令違反が組織を伸ばす』光文社新書を一読お願いしたい。
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実は、注水の件。話を聞きながら、菊澤先生の「命令違反」の話を思い出しました。
おそらく、斑目委員長は、ぼんやりと「海水注入による臨界の可能性はゼロでない」といってしまった。しかし、この発言は他人には混乱を与えることまで、彼は想定していなかった。この世にゼロリスクはないので、こんな発言は大学生でもいえる内容でもある。リスクがある、そういっておかないと、あとあと委員長として責任が発生する、と計算したのでしょう。
しかし、技術知識のない素人集団の官邸はあわてた。安全委員長が「臨界の可能性があるって・・・」、と混乱が生まれた。安全委員長は、東大教授経験者であり、大臣級の格付けの権威と、言葉の重みがある。
それが、そのまま東電本店に伝わった。本店は、現場の状況をすべて知ってるわけではなかったはずだ。その空気とやらを、真面目な官僚機構で育った本店の彼らは、そのまま現場に伝えた。
要約すると、①臨界がおきた際のリスクを回避したい斑目氏。②安全委員長に責任を押し付けたい政府。③政府のいう通りことを運ばなければ責任を問われる東電本店。といった、さきの大戦の枠組みで言えば、大本営と、天皇と、内閣的な状況だったのかもしれません。
一方、海軍にあたる現場は、未曾有の大震災、そして22メートルに及ぶ津波。にもかかわらず、命を懸けて日本を守ろうと、一丸となって必死に戦っていた。東芝・GE・日立の設計は、かなりイマイチだったかもしれないが、それは40年前の人々の最先端だったから致し方ない。設計者の孫の年齢に当たる彼らは、「ここで俺たちがあきらめたら日本がどうなる」、と腹を据わらせたにちがいない。世界では、彼らを勇気ある「FUKUSHIMA50」と称えているのはそのためだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9E50
しかも、海水注入継続は、再臨界を防ぐために、あの状況で最善の選択だった。というのも、真水を調整したりする間に、炉の温度があがったり、容器内の気圧に変化が出てしまう不確定要素が大きかったからだ。冷棺を目指すためには、海水注水継続は必要不可避だったはず。その判断からそれる命令は、総理大臣の命令だろうと、技術的に受け入れがたい。現場は、勇気を持って命令違反したのだろう。
今回の吉田所長の勇断は、おそらく大本営の誤報から、日本を救った決断だった。近いうちに、IAEAも、そう結論付けるはずだ。
歴史を紐解けば、チェルノブイリや、スリーマイルも、ヒューマンエラーが原因だった。逆に、フクシマは、人類史上2番目の大地震だった。
上記の現実が国際的に認識されたとき、世界の人々だけでなく、国民が日本の現場力に改めて敬意と驚嘆を表する時が必ずやってくる、私はそう確信している。
その意味で、今回の震災対応を乗り越えたら、さらに強い日本のエネルギー産業が生まれるかもしれませんね。おそらくその核となるべきなのは、今回の貴重な被災を経験した「FUKUSHIMA50」の彼らだと思います。
投稿: 匿名希望 | 2011年5月29日 (日) 午前 02時36分