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2011年4月 3日 (日)

批判的ということの意味

 本を書いているので、たくさんの人から書評を書いていただいている。肯定的なものあるし、批判的なものもある。

 正直にいえば、肯定的に書いてくれるのはうれしいし、否定的に書いてくれているものは嫌な気持ちになるものだ。

 しかし、一番まずいのは、自分が読解力がないにもかかわらず、自分の能力のなさを批判しないで、対象(相手)を否定することである。しかも、それを言明化するということは、世界3の産物となる。それは、その人の意図、悪意を超えて客観的になるのだ。これは、その対象にとってはマイナスの外部性であり、公害なのだ。困ったことだ。(過激なことを書いて、注目されたいと思う人に多いのだが・・・)

 私は、批判的な議論をすることを推進している。何度も言っているように、批判的な議論というのは、否定ではないし、非難でもない。それは、どこまで認め、どこまで認めないかである。それは簡単だという人もいるが、そうではない。

 その作法を、もっと具体的にいうと、こういうことだ。

 まず、批判する対象(敵の意見)があるとしよう。これを批判する前に、相手を最高の形で補強する。相手を最高の形に自ら進んで仕上げてみる。こうしたらもっともっとよくなる。しかし、それでもなお駄目な点がある。それでも、問題がある。という論証の仕方だ。これが、批判的な議論だ。

 ある理論がある。この理論は実はこうするともっと説得的になる。あるいは、この理論はこのような世界観に立つともっとよくなる。しかし、それでもこの理論には避けられない問題点がある。それは、・・・・・・である。

 これが批判的な作法だ。このような作法にしたがっていない論評は、大抵、その人が能力がないか、あるいは悪意をもって否定か非難しているケースが多い。まあ、知的に品のない人が多い。

 このような批判的な方法は、過去、もっとも激しい議論がなされた科学哲学の分野でなされている。カルナップの論理実証主義、ヴィトゲンシュタイン、カール・ライムント・ポパーの批判的合理主義、イムレ・ラカトシュの科学的研究プログラムの方法、トマス・クーンのパラダイム論、ファイアーベントの知のアナーキズムに関わる論争的な論文は、論文の書き方として非常に学べるものが多い。

 科学の哲学自体面白いので、一度、参考にしていほしい。たとえば、ラカトシュの『方法の擁護』の中の科学的研究プログラムの方法論の章の書きだしとてもいい。

 

  

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