効率性(事実問題)と正当性(価値問題)の違い
より効率的なことは正しいことであってほしい。あるいは正しいことは効率的であってほしい。しかし、実際には、効率的なことは正しいこととはかぎらない。同様に、正しいことは効率的とはかぎらない。
たとえば、ある人が100円の脱税をしていることが明らかになったとする。その人は隠れており、その人を探すには、2000万円かかるとする。あなたはどうするか?
(1)あくまでも納税の義務を守らせるために、あるいは平等を追求するために、捜査の専門家に頼むと2000万のコストがかかる。自分たちやると、素人なので4000万はかかる。つまり、非効率的でも正当性を追求する。
(2)100円のために、2000万円を使うのはあまりにも非効率的なので、たとえ不正であっても見逃す。
みなさんはどうですか。私は状況によって異なるが、たぶん(2)の方なのだ。もちろん、お金の問題ではないという状況はあるのだが・・・・。
私は、このような正当性と効率性が一致しない状況を不条理の一つと呼んでいる。
この違いが気付いたのは、カントである。カントは事実問題(効率性問題)と正当性の問題を区別した。裁判を行うとき、まずその人は実際に何をしかのかを確定する。次に、その行動が正しいのかどうかを決定するということで、これらを混同してはならないといった。
次に、ヴェーバーがこれを区別した。彼は、事実問題(効率性問題)と価値問題(正当性問題)は別の問題であり、事実問題は事実をもって議論できるが、価値問題は合理的に議論できない、神々の戦いになるので、社会科学は事実問題だけ扱うべきだと主張したのだ。
このような区別は、どんな問題に対処するときにも重要だ。
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