消防隊の自律的な行為に感謝する
いま、決死隊として注目されている消防隊をめぐって、政府がやらないと処分するといったとか、いわなかったとかでもめている。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-91044/1.htm
確かに、この問題は重要な問題だ。
しかし、この問題をあまりにも強調すると、結局、処分を恐れて消防隊は消火に向かったのかという他律的な印象を与えてしまう。それは、消防隊員に対して、あまりにも失礼だ。
そうではないのだ。処分されよとされまいが、やはり彼らは命をかけて自律的に向かっていったのだ。日本のために、日本国民のために、自らの職業のプライドに懸けて、立ち向かったのだ。
本当に行くのがいやな隊員は処分されても行かないものだ。
決死の覚悟で立ち向かった消防隊員にとっては、処分などどうでもよかったのだと思う。その勇気と自分の職業に対する自負心(プライド)に、わたしはただただ畏敬の念をいだくだけだ。
この大事件によって、私の新著『なぜ改革は合理的に失敗するのか』も吹っ飛んでしまった。
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