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2011年1月 6日 (木)

英語論文を書くということ

 私は、今後、留学する予定だ。たぶん米国になるだろう。私はもう歳なので、世界に打って出ようなどといった野心はまったくない。

 ところで、最近は日本人も海外の大学院で勉強して、英文で論文を書く日本人も多い。日本にいると、そういった研究者が日本に戻ってくると、やはり世界レベルで活躍しているようで、本当に、尊敬してしまう。すごい。

 しかし、ときどき、ふと疑問に思うこともある。米国では、とにかくジャーナルに論文を掲載することが重要なのだが、そのために、不条理なことも起こるということだ。

 たとえば、この論文は明らかに取引コスト理論を用いた方が良いのに、あえてそれを使っていないものがある。なぜか。もし取引コスト理論を用いると、その分野の専門家が審査員になって、審査が厳しく通らないといういうのだ。

何か、おかしい。

 最近、私は思うのだが、実はただ英語論文を書き、ジャーナルに掲載されるだけではだめなのではないかと。もちろん、それだけでも立派なのだが、つまり私が言いたいのはそれだけ論文が掲載されるのだから、当然、米国でも有名になるのではないか?ということだ。

 しかし、米国でも有名な日本人研究者は、それほど多くないのではないか?

 いくら掲載されても、米国で有名にならないならば、それはどういうことだ。それはただ掲載するための論文を書いているだけなのか?こういった疑問だ。

つまり、日本でいえば、売れない、影響力のない、マイナーな本をたくさん出版している学者だということだろうか。

 とにかく、わからない。いろいろ書いたが、いずれにせよ。これは私の言い逃れにすぎない。しかし、私も可能性を捨てたわけではない。

 

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コメント

はじめまして。

学術研究に関わりのある仕事を最近するようになった者です(研究者ではありません)。

「素晴しい論文を書く→ジャーナルに論文が掲載される→優秀な研究者とみなされる→有名になる・成功を収める」という過程に、「学術界での人間関係」が大きく影響するのではないかと思います。学術研究は、100m走のように記録のみで周囲を納得・感心させることはできませんし。また、同業者とは良いコミュニケーションなしでは信頼関係が築きあげる事ができませんし。

考えれば考えるほど複雑に見えます。

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