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2010年12月28日 (火)

批判するということ

 私の本を読んで、ああ、結局、「批判か」「批判すれば、人間は進歩するんだ」、「議論は面白いが結論はあたりまえで、簡単だなあ~」という人がいる。

 私は、こういった安易な人に警告したい。批判は簡単ではない。批判的な議論ができる人は非常に少ない。批判的な議論ができるには、自分自身もそうだが、相手もそうであるべき条件がある。

 自律的な意志をもったひとであることだ。

私の本を読んで、なんだ批判をすればいいのだと思う人は、お金につられて何でもやってしまう人と同じく他律的な人だ。そのような人には批判的な議論はできない。上司に脅されて、いうことを聞いてしまう人だ。

 批判とは、否定でも肯定でもなく、ここでまでは認められるが、これ以上は認められないということを議論することだ。

 上司が「これをやれ」と命令してきたとき、「ここまではできますが、これ以上は問題があります」といえるかどうか。

 逆に、上司の場合には、「私の考えは・・・・だが、君はこの命令にどこまで従うことができるのか聞きたい」といえるのかどうか、そして部下が全面的に不可能といった場合でも対処できるのかどうか。

 このように、批判的議論が可能になるには、暴力や脅しやお金や権威や名声とは無関係に、自らの自律的意志を行使しなければらないのだ。

 簡単なことではない。

 暴力に負け、脅しに屈し、お金に目を奪われ、上司の意見に従うことは楽なのだ。

それでも、人間として生まれたからには、批判的な議論を展開すべきだと何度も何ども語り続けているのは、批判哲学の創始者であるイマニエル・カントだ。

 批判的議論って、そんなに簡単なことですか?

 

 

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