カントを学ぶことも、アインシュタインを学ぶことも、その本質は同じだと思う
本日、日本公益学会に参加し、統一論題で報告した。体調が良くないので、報告後、懇親会に参加するのは止めて、すぐに帰宅した。まだ、体も頭も少し重い。薬を飲んだ。
さて、今日の報告でも、カント哲学について触れた。最近は、いろんな講演で、カント哲学やドラッカーの経営哲学について触れることにしている。
このような議論を展開すると、よくこんな質問がくる。私たち日本人でもドイツ人のカント哲学を理解し、実践できるのでしょうか。(今回の学会ではなかった)
つまり、日本人とドイツ人は異なる存在だ。したがって、異なる存在であるドイツ人カントの哲学は日本人には合わないのではないかといいたいのだろう。
同様に、ウェーバーの議論をするときにも、ポパーの科学哲学について議論するときにも、同じ質問がくる。
これに対して、私は言いたい。
「あなたはドイツ人・ユダヤ人であるアインシュシュタインが作った相対性理論は日本人には合わないと思いますか?ドイツ人であるハイゼンベルクやシュレーディンガーが作った量子力学は日本人には合わないと思いますか?」
いずれも、世界中のどこの国のどこの民族もどこの人も使っているのだ。テレビを見ている人はみんな量子力学を利用しているのだ。
私は言いたい。
カントは、アインシュタインやハイゼンベルクやシュレーディンガーと全く同様に、人間の普遍的原理を追求した人物なのだ。だから、彼の哲学は、日本人だけではなく、アメリカ人のあのハーバードのサンデル教授も理解できるし、実践しているのだ。およそ、理性をもつ人間ならば、だれでも理解できるし、役に立つのだ。
そんなつまらないことを考えてはいけないのだ。つまらない日本人根性を捨てて、学べるものは何でも学ぶという態度が必要なのだ。何もないから、何でも吸収するという日本の思想を思い出してほしい。
と私はいいたい。
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