戦訓を文字にしておくことが重要かもしれない
ソニーという会社は面白い会社だ。明らかに、普通の会社でなはい。おそらく、利益最大化が企業の目的ではないことを示す間接的な証拠はある。
たとえば、ソニーは防衛省とほとんど取引していない。おそろく、防衛省は取引したいし、ソニーに軍事にかかわってもらいたいと思っているが、意図的としか思えないほど関係をもとうしていない。
こういった企業だから、ソニーはいろんな面白い事例を生み出す。ベータVSVHSの戦い。ゲームでの任天堂との戦い。デジタルミュージックプレヤーでのipadとの戦い。
しかし、ソニーの行動をみていると、ときどきかつてどこかで経験したことをまたやっているのではないかと思う時もある。
こういったとき、ソニーのような企業にはそのときどきの戦いから教訓をえて文字として残るような「戦訓」というものはないのだろうか?と思うときがある。これは軍隊的な発想だが・・・・
人間はどんどん入れ替わるが、ソニーの知性的世界として「戦訓」のようなものを残しておけば、それを洗練すれば、知性世界、心理的世界、物理的世界が相互作用し、さらに進化できるように思える。
ただこれは、あくまでも外部者の話。そのようなものはすでにあるのかもしれない。
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