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2010年9月

2010年9月30日 (木)

まったくファッション感覚のない私の独断

 どうも私はファッション感覚がないようだ。それを実証する事例を二つ挙げてみたい。

(1)今年の6月末から7月頃、大学で講義が終わった後、階段を下りていくと、私の前に数名の女子学生たちが階段を下りていった。私は危ないので、当然、下をみて階段を下りる。

いかがわしい感情はない。いやでも、前にいる女子学生の足元が見える。そのとき、驚いた。最近の女子学生は、ゴツイ、サンダルを履くんだなあ~、まるで古代アテネや古代ローマの人々を思い出すようなサンダルだ~。

後で、娘に聞いてわかったのだが、「ブーツ・サンダル」というらしい。しかも、それは足が細く見えるらしい。しかし、私には、足が細く見えるどころか、筋肉隆々の古代アテネか古代ローマ人が履いているサンダルにしか見えなかったのだ。

どうも、私にはファッション感覚がないらしい。

(2)田町の駅を降りていつもの通り、仲通を通って、大学に向かう。その途中に、遠く向こうから、ミニスカートの女性が歩いてきた。

驚いた。足はすらっときれいなのだが、斑点がたくさん見える。何か皮膚病なのかもしれない。申し訳ないが、少し気持ち悪い感じ。スタイルもいいし、顔も悪くなさそうだ。それゆえに、少し悲惨な状況だ。気の毒に・・・・

歩いていくうちに、必然的に彼女も近づいてくる。驚いた。私の認識が誤っていたのだ。彼女は斑点の入ったおそらく流行のストッキングを履いていたのだ。

どうも、私にはファッション感覚がないらしい。

しかし、こんな経験をした男性は、私だけだろうか?う~ん、ファッショは全くわからない。こんなことを書いていたら、ファッションに詳しい女性からボコボコに怒られそうだ。

2010年9月29日 (水)

大変なことになっている日航

 日航は大変なことになっているようだ。以下の記事では、希望退職制度への応募があまりにも少なく、結果的に調整解雇、つまり日航は強制的な解雇に踏み切る可能性があるということだ。そして、もしそれを実行したら、労働組合が反発するらしい。

日航の記事

http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/sankei-snk20100929106/1.htm

 希望退職する従業員が少ないというのは、何を意味しているのだろうか?二つの解釈が可能である。

(1)日航には、退職したら他に努める場所がないほど劣悪な人材ばかりだということ。というのも、もし能力があれば、希望退職制度に応じてたくさんお金をもらい、しかももっといい職場に転職できるからである。これをアドバース・セレクション(逆淘汰:良い人が淘汰され、悪い人だけが残る)と呼ぶ。

(2)日航へ愛着や思いが強くて、止めれないということ。たとえ待遇が悪くても、日航マン、日航ウーマンとして働き、日航を存続させ復活させたいという信念がある従業員が多いからか。

もし(1)ならば、そんなレベルの低い従業員からなる会社はもう不要だと思う。

もし(2)ならば、日航を存続させるために、日航を残すために、労働組合は強く反対できないだろう。というのも、もし反対して阻止すれば、お金を貸している銀行団に理解してもらえず、結局、再生は難しくなるからである。それにもかかわらず、組合は反対するというのだから、(2)ではないのかもしれない。

いずれかわからないが、いずれもよろしくない。稲盛哲学はどうなったのか?アメーバ経営はどうなったのか?お手並み拝見!

2010年9月28日 (火)

10月の講義、セミナー、本の宣伝

10月に行うことの宣伝をさせていただきたい。

(1)慶應丸の内キャンパス(MCC)でのドラッカーの講義全6回

ここでは、ドラッカー・マネジメントの本質に迫ります。お金の儲けだけのために、ドラッカーのマネジメントを読んでいる人は、ドラッカーの本は難しくて退屈になります。というのも、ドラッカーマネジメントの本質は、そこにはないからです。彼の議論は、経営の哲学なのです。現在のような先が見えない時代にこそ必要な経営哲学について議論したい人はぜひ参加してください。

●慶大丸内キャンパス「ドラッカー再発見」 菊澤

http://www.sekigaku-agora.net/course/kikuzawa_kensyu2010.html

●工学院・カルチャーでの講義3回

ここでは、エージェンシー理論とそれに基づいてコーポレート・ガバナンス問題がどのように分析されるのかについてお話します。エージェンシー理論について知りたい人、またコーポレート・ガバナンスについて体系的に知りたい人はぜひ参加してください。

朝日カルチャーセンター

http://www.asahiculture-shinjuku.com/kogakuin/koza/2010/08/0245.html

●菊澤研宗編 『企業の不条理』中央経済社 発売。

この本は、私の教え子たちとの共同の本です。前回『業界分析 組織の経済学』中央経済社から出版しましたが、その第二弾です。

はじめにの一部を紹介します。

本書の最大の特徴は内容にある。本書は、一貫してさまざまな業界や産業内の企業をめぐる不条理現象に注目している。われわれ人間は完全に合理的でもないし、完全に非合理的でもない。限定合理的なのである。このような限定合理的な人間観に立つと、人間組織は常に合理的に失敗する可能性があることがわかる。つまり、不条理に巻き込まれる可能性があるのだ。

 そういった不条理現象が、現代のさまざまな業界や産業内の企業には見出せる。一見、馬鹿げて見える企業行動も、一見、非合理的に見える企業活動も、実は極めて合理的に起こっている可能性がある。そういった企業をめぐる様々な不条理を理論的に分析し、明らかにしようとするのが本書の目的である。・・・・・・・

関心のある人はぜひ購入してください。近々、アマゾンで予約ができると思います。そのときに、また紹介します。

2010年9月27日 (月)

尖閣諸島問題は経済問題から政治的問題へ

 尖閣諸島をめぐる領有権(所有権)の問題は、これまで所有権理論的に説明されうる状況だった。

 つまり、所有権理論によると、所有権を明確にすると、その財を利用して発生するプラス・マイナス効果が明確に所有権者に帰属されるので、所有権者はマイナスを避け、プラスがでるように財を効率的に使用する。しかし、所有権を明確にするにはコストがかかる。この明確化に関わるコストがあまりにも高い場合には、所有権を明確にしない方がより効率的であるという理論である。

 この理論によると、尖閣諸島をめぐる所有権が明確ではないと、尖閣諸島近海の石油資源を有効に利用できない。しかし、それを有効に使用するために、所有権を明確化しようとすると、近隣諸国と戦争が起こりかねない。その所有権の明確化コストはあまりにも膨大に大きいだろう。それゆえ、日本は必ずしも強硬に所有権を主張してこなかった。むしろ、あいまいにしてきた。それが、経済学的に効率的だったのだ。

 しかし、このような経済原理を無視して動き始めているのが、尖閣諸島問題だ。もはや経済学的な問題を超えて、いまや非合理的な軍事や政治的な問題となりつつある。

 理論や論理が強い現在の内閣は、所有権理論的に問題を経済理論的に理解していたのかもしれない。しかし、その次元はもう終わっているのだ。

 いまや、問題はいくぶん非合理的な政治的圧力や暴力の次元に移行しつつあることに注意する必要がある。大変な事態である。日本、がんばれ!

 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/443985/

2010年9月26日 (日)

三井物産をはじめとする商社の英断に拍手を!

 私は、最近の不況の中、企業行動に疑問をもっていた。やっぱり企業は金儲けなのだ、と。利己的だ。

 しかし、三井物産をはじめとする日本の商社の行動には、拍手を送りたい。新卒採用を4年生の夏以降にすべきだと提案しているのだ!

●記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100924-00000613-san-bus_all

 最近の企業はあまりにも短期志向だ。いまは、採用は3年生の秋から始まっているのだ。

 つまらない2年間の教養課程を終えて(関係者には申しけないが)、やっと専門課程にきた学生も、3年生の4月から11月頃までしか専門の勉強ができずに、以後は就職活動に入る。そして、就職が決まると、今度は、資格をとれと命令してくる。実質2年半の大学生活だ。

 頭がいいなあと思っていた学生も、就職活動用の本を読みだすと、思考もそうのようになる。就職が終わっても、前のような頭の切れ味はもはやない。残念だ。そう思うことがある。

 企業は、大学での勉強なんて?と思っているのかもしれない。しかし、私はそれは甘いと思う。やはり、必要だと思う。

 私は、ある授業で、今日は、内定先で勉強会があるので、休ませてほしいという学生に会ったことがある。どんな勉強会をするのか?と尋ねると、HOW TOものの本を輪読するという始末だ。これこそ、無駄だ。そんな会社はなくなればいい。不要だ。

 そんな会社は長期的に人間をだめにする会社だ。私の考えでは、最後は人だ。すべて人だ。良い優秀な人間がいない組織は、永続しない。人、モノ、カネの中でも、もっとも重要なのは人なのだ。

 こうした思いもあるので、今回の三井物産をはじめとする商社の行動には驚いた。英断だと思う。拍手を送りたい。

 学生には商社を勧めたい。

 

2010年9月24日 (金)

渡部先生から『ケイパビリティの組織論・戦略論』中央経済社を頂いた。

 本日は、昼、渡部先生から直接最新の著書『ケイパビリティーの組織論・戦略論』中央経済社を頂いた。感動した。

 渡部先生は、現在、慶応義塾の常任理事をされていて、超激務なのだが、よくこの本を出版されたと思う。驚きだ。

 この本の表紙がなかなかカッコいい。また、目次を見ると、内容も予想以上に面白い感じがする。渡部先生の門下生たちも、なかなかやるなあ~と思った。

 今日、ケイパビリティをめぐって、いろんな方向で研究が展開されているが、この一冊で、ケイパビリティ論の全体がわかると思う。まさに、経営学の最前線の本だといえるだろう。ケイパビリティ論に関心をもっている学生や研究者も多いと思うが、ぜひ一読されるといいと思う。

 さらに、ケイパビリティの大家であるD.ティースのダイナミック・ケイパビリティの論文も含まれているので、お得な本だといえるだろう。

●中央経済社から直接注文できるようだ。

https://shop2.genesis-ec.com/search/item.asp?shopcd=17262&item=978-4-502-67910-0

次は、私と私の教え子たちとの本『企業の不条理』中央経済社の番だ。不条理シリーズの一冊となる予定だ。完成ももう少しですので、関心のある方はもうしばらくお待ちください。

2010年9月23日 (木)

ピアノの演奏会にいった

 今日は、娘と息子のピアノの演奏会に行った。シューマンとショパンの生誕200年を記念して、子供たちがシューマンとショパンの曲を弾いていた。

 シューマンの曲は、自分の8人の子供たちに贈った曲が多い。それに対して、ショパンはサロンで観客を相手にした曲が多い。その違いは、出ているような気がする。

 これは、私の全く主観的な見解だが、やはりショパンはプロだ。聞かせる。その点、シューマンの音楽はいくぶんあまい。彼は、プロのピアニストをあきらめたからかもしれない。ショパンの曲にはスキがない。終わり方も、これでもかこれでもかと繰り返してくる。ただし、曲は暗い。

 こんな違いを聞き取りに、音楽会に参加した。

 しかし、子供たちにとってシューマンとショパンはあまりにも手ごわい相手だった。子供たちはシューマンとショパンに戦いを挑んでいくのだが、次々に倒れていった。

 心の中で、「ミスしても止まらずに何とか弾き続けてくれ・・・・前に進んでくれ・・・・前進してくれ」と自分の子供たちだけではなく、他の子供たちのときにも祈ってしまった。 

 今回は、ある意味で、とても刺激的な音楽会だった。こんなところで、子供たちの戦う姿をみれるとは思わなかった。感動したなあ~

 

今秋、10月、編著『企業の不条理』が中央経済社から出版!

 今秋、10月に、菊澤研宗編著『企業の不条理』が中央経済社から出版される。内容は、以下のような内容だ。前回の『業界分析 組織の経済学』よりも、さらにレベルアップした内容となっている。新制度派経済学に関心のある人は、ぜひ購入してほしい。大変、面白い内容となっている。

企業の不条理

菊澤研宗編著

第Ⅰ部 私企業の不条理

第Ⅱ部 公企業の不条理

第Ⅲ部 企業統治の不条理 

 姉妹書として、私の兄弟子である渡部直樹慶大教授編著の『ケイパビリティの組織論・戦略論』も中央経済社から、発売されたようだ。この本も、最新のD.ティースの論文が所収されており、最新の経営戦略論について学ぶことができるだろう。

ケイパビリティの組織論・戦略論

アマゾン

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4502679100/kikuzawakensh-22

セブン&アイ

http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102975047/subno/1

2010年9月22日 (水)

記憶力のいいことはときに良いこともあるし、悪い時もある。

 若い時は、毎年、学校でたくさんの試験を受ける。大抵、記憶力がいいと試験もいい点が取れる。だから、多くの人は記憶力がよければいいと思う若者は多いだろう。一度、見ればわすれない。そういった記憶力に憧れるかもしれない。

 しかし、年をとって分かったことがある。人間というのはよくできているのだ。「忘れる」ということの重要さだ。人間は「忘れる」ことによって、許せることもあるのだ。

 もし記憶力があまりにもいいと、実はその人はとても不幸なのだ。いやなことをずっと記憶しているという人生だ。しかも、それが蓄積されることになるのだ。これほど不幸なことはない。

 さて、私が言いたいのは、人間は限定合理的にあり、完全にはなれない。それゆえ、われわ人間がめざすべきは、進歩ということになる。われわれの脳が進歩すると、われわれ人間同志もより平和になると思うかもしれない。

 しかし、戦いや憎しみや争いは、実は連続的なものではなく、離散的で、1か、0か、なのだ。

 つまり、われわれが認識進歩し、相手を99%認識し、理解できても、やはり最後の1%信頼できないと、それはゼロと同じなのだ。これは、99.999999・・・・・%相手を認識し、理解しても同じだ。ゲーム論を理解している人には、分かるだろう。最後に裏切られるかもしれないのだ。

 だから、限定合理的なわれわれ人間が進歩し、徐々にいくら認識を高めても、100%相手を理解できないかうぎり、戦いや争いや妬みや憎しみは消えない可能性がある。

 では、どうすればいいのか。

 私の答えは簡単だ。「忘れる」という能力を使うことだ。暗記力の弱い私は、この能力のおかげで楽しく生きている。

2010年9月21日 (火)

徴兵制、兵役制については、考えさせられる

 韓国ドラマをみるようになって、気になることが、二つある。

(1)見たことのある俳優たちが、いろんなドラマにでていること。「あの人は前のドラマの父親役だ」とか、「あの女優は前のドラマでは母親役だった」とか、やはり、韓国の芸能会も人的資源が限られているのだろう。

(2)非常にいい演技をする若い男性の役者が、ユーチューブを見ていると、2年の兵役のため、軍隊に入隊したという映像を見ることだ。これは、何か悲しいものがある。役者として一番いい時期なのに、軍隊にいく。そういった不条理な世界は、悲しいものがある。

「コーヒープリンス」コン・ユの入隊

http://www.youtube.com/watch?v=g9esAgamlN8

除隊

http://www.youtube.com/watch#!v=DM3pj6pc_qs&feature=related

結局、人間は限定合理的なので、暴力という手段はなかなかなくならないかもしれない。ありがたいことに、いま、日本は平和だ。

ドラッカーの言葉は熱い。魂の叫びだからだ。

 10月12日から、慶大丸内キャンパスのアゴラ講座でドラッカーの講義を6回にわたって行う。関心のある人はぜひ参加してほしい。

●慶大丸内キャンパス「ドラッカー再発見」菊澤

http://www.sekigaku-agora.net/course/kikuzawa_kensyu2010.html

 ドラッカーはたくさん本を書いているので、彼のマネジメントの本質を理解するのは難しい。彼のマネジメントの本質を知る方法はたくさんあるだろう。しかし、やはり、彼の原点となる書作に戻ることが正攻法であろう。自分自身のことを考えても、結局、自分の原点は若い時に勉強したことにあり、そこで学んだことを一貫して利用しているのだ。

 ドラッカーの処女作は、『経済人の終わり』である。その出だしの文章が熱い。

「本書は政治の書である」

「本書には明確な政治目的がある。」

「自由を脅かす専制に対抗し、自由を守る意思を固めることである」

このようなドラッカーが、なぜマネジメントの世界に入ってきたのか。みなさんとともに考えてみたい。

2010年9月20日 (月)

カントに忠実であったがゆえに、ウェーバーはジレンマに陥った。その知的誠実さと知的廉直さに乾杯。

 今考えると、マックス・ヴェーバーは、本当にカントに忠実だったと思う。「目的合理性」と「価値合理性」という概念は、いずれもカントの二元論的な人間観に関係している。

 今日、われわれが使用している「合理性」という言葉は、大抵、ヴェーバーの「目的合理性」であり、「計算合理性」である。それは、論理的な合理性であり、数学的な合理性、因果法則的合理性、目的に対する手段の合理性のことをいう。

 しかし、合理性にはもう一つ意味がある。人間理性に合うという意味だ。合、理性的、という使用の仕方だ。この使用の仕方が、カントであり、ヴェーバーなのだ。

 カントは、大雑把にいうと、人間の理性は二つあるとする。「理論理性」と「実践理性」だ。「理論理性」は現象を因果論的に認識する理性であり、その因果論を利用して目的と手段の関係で行動する人間の理性のこという。

 カントはこのような理論理性にもとづく行動は因果法則に基づくので、その行動の原因は自分以外にある行動だとし、このような理性に従う行動を「他律的行動」といった。それは、人間だけではなく、動物もそのような行動をとるし、機械もニュートン力学に従うという意味で機械的行動でもあるといった。

 ヴェーバーは、このような理論理性に従う行動を「目的合理的」といったのだ。

 しかし、カントは人間にはこのような理論的な認識理性だけではなく、自らはじめる能力、自ら実践する自由な理性、つまり「実践理性」もあるとした。カントは、この理性の存在は、因果論では認識できないが、以下のような「理性の事実」として存在するといった。

 すなわち、本来人間は何もなければ、動物のように、機械のように、因果論的に、他律的に行動するだけの存在かもしれないが、なぜか「・・・そうすべきではない」という声が聞こ得てくるのだという。それは、理性の事実だというのだ。

 それは、因果法則、自然の法則を打ち破って、「・・・・すべきだ」という規範、倫理、価値として人間の理性が要求しくるのだという。このような実践理性に従って行為することを、ヴェーバーは「価値合理的」行為といったのだ。カントは、自律的行為といったのだが・・

 さて、ヴェーバーの悲劇はここから始まる。

 カントは、哲学者であり、倫理学者であったので、経験科学に関わる理論理性に必ずしもこだわっていなかった。彼が、こだわったのは実践理性の存在である。彼は、倫理学者であり、哲学者だったので、「実践理性に従って行為すべき」と規範を述べることができた。

 しかし、ヴェーバーは、倫理学者ではなく、哲学者でもなく、社会科学者として自分の立場を位置づけた。そして、彼は経験科学の方法は、価値自由の原理(Die Prinzip der Wertfreiheit)だといった。

 つまり、科学者は、実践理性のような価値に関わる価値問題を扱うのではなく、あくまでも理論理性に関わる事実問題を扱うことだとした。つまり、科学者は「目的合理的」行動を扱うのであって、「価値合理的」行為を扱うことではないということだ。

 このような科学方法論的な立場から、ヴェーバーの「プロ倫」はもどかしい内容となった。

経験科学者としてのヴェーバーは以下の発言にとどめた。

(1)「宗教改革によって、人々の心理や行動が価値合理的行為から目的合理的な行動に変わった。しかし、この目的合理的な他律的行動はやがて非人間的な社会を形成することになる。つまり、目的合理的な行動からなる魂のない機械論的な官僚制社会が形成されることになるだろう。因果法則、目的合理的なルールに従う魂のない人間組織社会、鉄の檻の中に生きる人間社会が、やってくるだろう。」(経験科学的説明)

しかし、倫理学者としてのカントはさらにこういっただろう。

(2)「人間は生まれながら自由ではないのだ。人間として生まれたからには、その他律的な機械論的社会を打ち破るように、「実践理性」にもとづいて、価値合理的に自由意思を行使すべきである。実践理性を行使して価値合理的に行為すべきである。それが人間としての義務だ。そして、人間らしい魂のある人間社会を形成すべし!」(規範論、倫理論)

 経験科学者であるヴェーバーは(1)の主張にとどまり、(2)のようなカント的な規範的発言は言えなかったのだ。これが、プロ倫の内容をもどかしくしているのだ。なぜヴェーバーはなぜ価値合理的行為について積極的に語らないのか?しかし、そこにこそ、経験科学者としてのヴェーバーの知的廉直さがあるのだ。

 その知的廉直性を忘れ、その後、ポスト・モダンと呼ばれる人々は、(2)実践理性に従う行為を経験科学的に扱おうとしているように思える。これは私の誤解かもしれないが・・・・

 この区別をよく理解して、実践理性の学問としてマネジメントを打ち出したのは、P・F・ドラッカーなのだ。だから、彼はマネジメントを科学ではないといっているのだ。

 

2010年9月19日 (日)

このデフレ時代に、缶ジュースやコーヒーが120円なんておかしいのだ。

 激安自動販売機が出現し、サラリーマンの副業として人気となっているらしい。120円の缶ジュースや缶コーヒーが、100円、80円、さらに50円でも販売されているらしい。

http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/moneyzine-20100919-188244/1.htm

 サラリーマンが自宅前の空地に自動販売機を設置して、副業ビジネスを展開するというのだが、この試みは非常に面白い。

 缶ジュースはずっと昔に100円から120円に値上げとなったが、環境の変化にまったく対応せずに、このデフレでも120円という価格を維持していることこに、まえからおかしいと思っていた。

 こういった激安ビジネスはどんどん発展してほしい。これが市場経済なのだ。サラリーマンがんばれ!!

医学部新設の動き、お金持ちの子弟だけを対象とするような医学部はいらない。

医師不足を背景に、医学部新設の動きがあるようだ。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/doctor_shortage/?1284841357

医療崩壊問題に対する対策は必要だ。そして、その対策の一つとして医学部の新設も必要かもしれない。

しかし、お金持ちの子弟だけを対象とするような高額の入学金や授業料を課すような医学部は不要だ。

やはり、医者は最低限優秀であってほしい。世界のどこの国でも医学部だけは入学が難しいのだ。それは、お金という意味で、難しいのではない。レベルが高いのだ。

また、学力は低いが、親がお金持ちの学生が医者になると、医師になってから投資を回収するために、経済志向の強い医者になるかもしれない。

いま問題になっている医療崩壊の原因の一つは、医師の経済人化だと思う。コストが低くてメリットの多い方に経済合理的に行動する医師が多くなったのだ。危険で訴訟が多そうな専門は避ける。危険で儲からない地域にはいかない。

医療崩壊問題の本質の一つはココにある。

2010年9月18日 (土)

所有権理論的にいえば、違法アップロードとCD売上減少は関係する。そして、その後に悲劇がやってくる。

 違法アプロードとCD売上減少は関係するのか、という記事がある。

http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20100816-00003269-r25&vos=nr25nn0000001

 本質的に同じ問題が、漫画の違法アップロードと漫画の売上問題である。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/spa-20100914-01/1.htm

 知的資産である楽曲や漫画、小説、本の内容、理論、技術がネット上でアップされると、それらの知的資産はだれでも自由に使えることになる。そのような領域を「パブリック・ドメイン(みんなの領域、共有地、公的領域)」という。

 このように、楽曲や漫画や理論や技術がだれでもただで使えることは、ときにプラスの側面もある。とくに、理論や技術が発展することもあるのだ。これをプラスの外部性という。

 しかし、所有権理論的にいえば、マイナスの外部性もある。それは、楽曲や漫画や理論や技術を生み出した人に、楽曲や漫画や理論や技術が生み出すプラス効果が帰属されないのだ。そうすると、次に不幸な現象が起こるのだ。

 つまり、知的資産を創造してもプラス効果が自分に帰属されないのならば、だれもはじめから楽曲や漫画や理論や技術などの知的資産を作ろうとしないのだ。二番手でいくのだ。あるいは、漏れてくるの待っているか。あるいは、ネットにアップされるのを待つ方が合理的なのだ。

 こうして、こういった知的資産の分野は廃れていくのだ。つまり、儲からないのだ。パブリック・ドメインの悲劇だ。

 昔はときどき、売上100万枚という楽曲が何曲もあったが、最近ではそれだけ売れる楽曲ない。私など、U-チューブで聞けるようなって、CDなど買ったことがないのだ。

 ポパーがいうように、物理世界、心理的世界と同様に知性的世界も実在していることに、われわれははやく気付く必要がある。

 本の内容という知性的世界を、紙を通して購入して読むのか、iPadを通して購入して読むのか。このことからも、知性的世界と物理的世界は区別する必要があることは理解できるだろう。

 

実は私は隠れプロレスファンだ

 前にもブログで書いたことがあるのだが、私は隠れプロレスファンだ。とくに、私はアントニオ猪木世代なのだ。

 そして、奇妙なことに、隠れプロレスファンは私だけではない。私の同年代の教員に以外に多いのだ。それに驚く。「あの先生もそうだったんだ」ということケースが多い。

 アントニオ猪木のパフォーマンスに感動したのだ。いままで、やらせといわれていたプロレズの観念を打ちやぶり、ストロングスタイルというネーミングで真剣勝負をやり始めたのだ。

 それは、生活のためだったかもしれない。彼は、いろんな異種格闘技を展開した。それは魅力的だった。ボクシングのモハメドアリ。最強の空手家ウイリーウイリアムなど。プロレス生命をかけたマッチメイク。どれも興奮した。

 最近は、忙しくて見てないが、偶然、新日本プロレスのHPを見て驚いた。

 社会貢献活動という項目があったからだ。

http://www.njpw.co.jp/company/coms.html

久しぶりに、「がんばれ、新日本プロレス!」という気持ちになった。

中国によるホールド・アップ問題、間接的アプローチ

 尖閣諸島問題で、中国民間企業が日本への1万人規模の旅行を中止すると発表した。これは、ホールド・アップ問題だ。

 日本側はすでに1万人の観光客を見込んで、受け入れ準備をしていた。そのために、資金が使われたかもしれない。こういった状態で、この企画を中止すると、これまで使った資金は回収できない埋没コストとなる。こうして、日本側がお手上げ状態となり、中国の言うとおりにさせるという中国の間接アプローチ戦略だ。

 NYなどの抗議運動も間接アプローチだ。したたかた。

 ところで、日本はいまなんとか観光産業に力をいれているようだが、視点を変えて、むしろ弱小と呼ばれている産業に目を向けてもいいのではないか?

 それは、アパレル産業だ。海外にいくと、家電やその他の分野の看板をみるが、洋服のブランドなどほとんどない。日本企業の技術を利用すれば、実はアパレルも強い産業になるのではないか。とくに、最近の日本ファッションはレベルが高いともいわれているようだが・・・・

 既存のモノづくり産業だけではなく、別の産業政策も検討する価値はないのだろうか?

 

2010年9月17日 (金)

もう何とかしてほしい教員たち

民主党が廃止を含む見直しを進めていた教員免許更新制度が改正されない事態となった。

そのため、廃止されると見込んで、必要な講習を受けてない教員が一万人おり、免許失効となる教員がでるようだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100917-00000005-yom-soci

こんな教員など、もう何とかしてほしい。文科省しっかりしてくれ。レベルが低すぎる。

キュービック・グランド・ストラテジーをめぐる安易な誤解

 私が、拙著『戦略学』ダイヤモンド社、拙著『戦略の不条理』光文社新書で展開しているキュービック・グランド・ストラテジーをめぐって、いろんな誤解があるが、簡単な誤解を指摘しておきたい。

(1)キュービック・グランド・ストラテジーはCubic Grand Strategyであって、Qubicではない。三次元大戦略の意味だが、ピカソのキュビズムを意識しての名前だ。間違えないでほしい。

(2)このような戦略は大抵の経営者が行っている。だから、それほど意味がないという解釈。

 確かに、行っているケースがあるかもしれない。しかし、問題は意識的に行っているかどうかだ。この点が重要なのだ。大抵、無意識に行っているのであり、あるいは偶然行っているケースが多い。

 事実、あのアドルフ・ヒトラーでさえ、初期、キュービック・グランド・ストラテジーに近い戦略を行って連勝していた。しかし、彼は意識的にキュービック・グランド・ストラテジーにもとづいて行動していなかったので、最後には力による戦略、つまり直接アプローチ戦略にこ固執して敗北した。

 関心のあるい人は以下の本を読んでみてください。

『戦略学』 以下の写真をクリックすると、アマゾンへ

菊澤 研宗: 戦略学―立体的戦略の原理

『戦略の不条理』 以下の写真をクリックすると、アマゾンへ

菊澤研宗: 戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

やはり慶応義塾は民間企業に強かった。

 やはり民間企業は慶応義塾が強かった。12年連続で、全上場会社の役員の出身校NO1は、慶応義塾大学だ。とくに、社長に限っていえば、最近は商学部出身が多いらしい。

●役員の出身校の記事

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/toyo-20100910-01/1.htm

 こういうと、そもそも慶応義塾大学は母集団が多いからだ、という人もいる。しかし、私はそうは思わない。司法試験にしても、会計士試験にしても、よく絶対値ではなく、合格率が重要だという人はいる。しかし、それは間違いだ。

 どこの大学でも、学生は均一ではなく、やはりピラミッドになっているのだ。上位の学生が司法試験や会計士試験に合格するものとしよう。もし慶応義塾が東大のように国からさらにたくさんお金をもらえるとすると、ピラミッドの下の方の学生を切ることができる。つまり、入学させる必要はないのだ。そうすると、率も必然的に良くなるのだ。

 しかし、慶大は私立なので、やはりより下の層の学生をとる必要があるのだ。 このように考えると、合格率は大した問題ではないといえる。それは、お金の問題だ。やはり、絶対数が問題なのだ。ピラミッドの上層部がどれだけ優秀かが問題なのだ。

 ちなみに、全米の1000億円長者の輩出大学は以下の記事の通り、ハーバード、スタンフォード、・・・・・・だ。

http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yucasee-20100814-4407/1.htm

2010年9月16日 (木)

曲名かグループ名かわからないときがある。

 昨日、テレビで100万以上売れた歌の特集をやっていた。懐かしく、つい聞き入ってしまった。

 その中に、むかしはじめて聞いたときに、それが曲名なのか、グループ名なのか、わからず、混乱した歌があった。

 「スピッツ」の「ロビンソン」だ。どっちが、曲名だ?どっちがグループ名だ?。

そのときはもう年だったかもしれない。いや、そうではない。同じことがもっと若いときにも経験した。

 「キャロル」の「ルイジアンナ」だ。どっちが曲名だ。どっちがグループ名だ。

 まあ、とちらでもいいのだが、当時は何かめんどくさかったなあ~

 キャロルといえば、キャロル・キングはいい。ニューヨーク大学に留学しているとき、夜、部屋でいつも勉強しながら聞いていた曲がある。 「You've Got A Friend 」だ。曲が好きだったのだが、いつのまにかその歌詞もいいことに気づいた。

歌詞がいいので、耳を澄まして聴いてほしい。彼女の曲はどれも歌詞がいい。

キャロル・キング

http://www.youtube.com/watch?v=XHlcW_lKPl4&feature=related

  

2010年9月15日 (水)

戦訓を文字にしておくことが重要かもしれない

 ソニーという会社は面白い会社だ。明らかに、普通の会社でなはい。おそらく、利益最大化が企業の目的ではないことを示す間接的な証拠はある。

 たとえば、ソニーは防衛省とほとんど取引していない。おそろく、防衛省は取引したいし、ソニーに軍事にかかわってもらいたいと思っているが、意図的としか思えないほど関係をもとうしていない。

 こういった企業だから、ソニーはいろんな面白い事例を生み出す。ベータVSVHSの戦い。ゲームでの任天堂との戦い。デジタルミュージックプレヤーでのipadとの戦い。

 しかし、ソニーの行動をみていると、ときどきかつてどこかで経験したことをまたやっているのではないかと思う時もある。

 こういったとき、ソニーのような企業にはそのときどきの戦いから教訓をえて文字として残るような「戦訓」というものはないのだろうか?と思うときがある。これは軍隊的な発想だが・・・・

 人間はどんどん入れ替わるが、ソニーの知性的世界として「戦訓」のようなものを残しておけば、それを洗練すれば、知性世界、心理的世界、物理的世界が相互作用し、さらに進化できるように思える。

 ただこれは、あくまでも外部者の話。そのようなものはすでにあるのかもしれない。

2010年9月14日 (火)

坂本龍馬は取引コスト節約者だ

 NHKの大河ドラマ龍馬伝はおもしろい。とくに、薩摩と長州とが同盟を組む薩長同盟へのプロセスが面白い。

 本来、薩摩と長州が相互に手を組むことは、日本にとって効率的な効果をもたらす。しかし、両国はこれまでのいきさつから相互に憎しみ合い、それゆえ両者が直接交渉取引することは難しい。非常に取引コストが高いのだ。

 こうした状況で、登場しているのが坂本龍馬だ。まさに、彼は薩長間に発生する取引コストを節約し、薩長同盟を結ばせた。取引コスト節約者なのだ。こうして、日本の歴史は動いて行った。

 ドラマの高杉晋作はかっこいいなあ~

人間の「誤り」は少なくとも二つの意味、効果、意義をもつ

 人間は誤りを恐れる。それが自分の評価を落とすからである。そして、また、それが他人にマイナスの効果をもたらすかもしれない。とくに、組織のメンバーである場合には、失敗は組織内での評価を落とすとともに、組織に迷惑をかけることになる。それゆえ、人間は誤りを恐れる。

 しかし、誤りにはもう一つの効果がある。

 もし人間が完全に合理的ではないならば、人間は必ず誤りを冒すのだ。それゆえ、誤りのない人間を目指すことはできないし、あるいは誤りのない人間を目指せともいえないのだ。何よりも、前よりもより良い状態を絶えずめざすこと、進歩すること、進化することが、不完全な人間がめざすことができることなのだ。これがポパーの考えだ。

 だとすると、誤りは人間にとって必要なのだ。誤りは進歩するための前提となるのだ。誤りを認めて、さらによりよい状態に進めるのだ。誤りがない場合、あるいは誤りを認めない場合には、進歩できないのだ。

 以上のように、誤りには少なくとも二つの側面、意味、意義があることを、われわれ不完全な人間は理解する必要があるだろう。

2010年9月13日 (月)

首相が早く変わるのは良くないというが、首相が何人変わろうとたいした問題ではないと思う。

 民主党の党首選挙が事実上の首相選挙だ。この選挙をめぐってよく出てくる議論が、首相があまりにも早く変わるのは問題だという発言だ。

 私は、このような発言はまとわずれだと思う。問題はそんなところにはないのだ。われわれにとっては、誰が総理になろうと、いま起こっている政治経済問題を少しでも緩和でき、解決できる人物がいれば、だれでもいいのだ。首相があまりにも変わるのは早すぎるという理由で、能力のない人を総理にし続けるのはおかしいだろう。(もちろん、菅内閣が問題解決をスムーズに行うのであれば、菅内閣でいいのだ。)

 総理の数という観点が、おかしいのだ。むしろ、総理を変えられる日本は状況適応であるといっていもいい。止まっている方が異常なのだ。この変化の激しい時代に。マイナーチェンジは常に行う必要があるのだ。むしろ、外国から日本の首相はよく変わるというイメージをもってもらってもいいと思う。

 そういうと、信頼感をなくすというが、それは日本的な発想だ。彼らは契約主義だ。人が変わろうと、契約や約束を守っていればいいのだ。

 もちろん、この意味では、今回の基地問題は米国に不信感を抱かせたかもしれないが・・・。それは、首相がかわったからではなく、約束を守らないかもしれないという点の問題なのだ。

 変化の回数が多すぎるのは異常だという考えこそが、異常なのだ。われわれは完全合理的な存在ではない。

  

2010年9月12日 (日)

JUDOで一番邪魔なのは主審なのではないか?

 今日も、柔道の世界選手権をみた。選手はすばらしい試合をしていた。いただけないのは、主審だ。素人がみても二人の選手が積極的戦っているのに、意味もなく「指導」を取る。ほっといてほしい。見ていればいいのだ。

 拮抗している試合の場合には、僅差で勝負がきまるので、主審の「指導」がモノをいう。だから、主審が出しゃばると、勝負の決着をつけるのは選手ではなく、主審が着けることになる。お笑いだ。試合に自ら参加するのではなく、判定することが役割なのに。

 主審は、明らかなかけ逃げや明らかな消極的な態度以外は介入しないでほしい。JUDOで、一番、邪魔なのは、主審だ。今日は、2つの試合で、そう感じた。

 

イノベーションの後に求められるもの、それは責任、倫理だ。

 日本では、イノベーション、イノベーションと叫ばれて久しい。実は、日本ではかなりたくさんのイノベーションが起こっているようにも思う。社会を変革するようなイノベーションも起こっているのではないかと思う。

 問題は、イノベーションの後だ。インパクトのあるイノベーションは社会やライフスタイルを変える。もしかしたら、新種の公害(知的公害、情報公害と呼びうるような)問題を起こすかもしれない。マイナスの外部性を生み出すかもしれない。その責任はだれが取るのか。

 お金儲けのために、名誉のために、あるいは偶然かもしれない。イノベーションを起こす自由は行使すべきた。人間として生まれたからには。しかし、人間として自由を行使したらその責任も負う必要があるのだ。そのことを理解する必要があるだろう。

 実は、いまそういった時代が来ているのだ。陳腐で古臭いのだが、倫理教育が必要なのだ。誠実さとか、真摯さとか、信頼とかいったことが重要なのだ。とくに、企業エリートには。

人生一度は泣けるようなそして人を泣かせるような仕事をしたいものだ。

 いま、日本で世界柔道が開催されている。私は、時間があれば、必ずみている。日本勢は頑張っている。

 昨日も秋本選手が優勝した。息をのんで見みていた。結果は、延長戦までもつれて、3人の審判の旗で決まる。秋本選手が勝った。素晴らしい。どきどきした。とくに、日本を背負って戦っている秋本選手の心境を考えると、感動した。負ける恐怖と戦っていただろう。

 しかし、もっと感動したのは、優勝が決定した瞬間、画面に映った秋本選手の父親(世界選手権銅メダル)が目頭を押さえたことだ。そして、解説者で秋本選手の先輩が声を詰まらせて男泣きしていたことだ。

 いろんなことが一瞬よぎったのだろう。日本代表としての重責を果たしたこと、人には知れない想像を絶するこれまで努力。涙を抑えられなかったのだろう。

 人間として生まれたからには、一度は泣けるようなあるいは人を泣かせるような何かをしてみたいものだ。若い人には、特にそんな恋愛や仕事をしてもらいたいものだ。

 

2010年9月11日 (土)

カントを学ぶことも、アインシュタインを学ぶことも、その本質は同じだと思う

 本日、日本公益学会に参加し、統一論題で報告した。体調が良くないので、報告後、懇親会に参加するのは止めて、すぐに帰宅した。まだ、体も頭も少し重い。薬を飲んだ。

 さて、今日の報告でも、カント哲学について触れた。最近は、いろんな講演で、カント哲学やドラッカーの経営哲学について触れることにしている。

 このような議論を展開すると、よくこんな質問がくる。私たち日本人でもドイツ人のカント哲学を理解し、実践できるのでしょうか。(今回の学会ではなかった)

 つまり、日本人とドイツ人は異なる存在だ。したがって、異なる存在であるドイツ人カントの哲学は日本人には合わないのではないかといいたいのだろう。

 同様に、ウェーバーの議論をするときにも、ポパーの科学哲学について議論するときにも、同じ質問がくる。

 これに対して、私は言いたい。

「あなたはドイツ人・ユダヤ人であるアインシュシュタインが作った相対性理論は日本人には合わないと思いますか?ドイツ人であるハイゼンベルクやシュレーディンガーが作った量子力学は日本人には合わないと思いますか?」

 いずれも、世界中のどこの国のどこの民族もどこの人も使っているのだ。テレビを見ている人はみんな量子力学を利用しているのだ。

 私は言いたい。

 カントは、アインシュタインやハイゼンベルクやシュレーディンガーと全く同様に、人間の普遍的原理を追求した人物なのだ。だから、彼の哲学は、日本人だけではなく、アメリカ人のあのハーバードのサンデル教授も理解できるし、実践しているのだ。およそ、理性をもつ人間ならば、だれでも理解できるし、役に立つのだ。

 そんなつまらないことを考えてはいけないのだ。つまらない日本人根性を捨てて、学べるものは何でも学ぶという態度が必要なのだ。何もないから、何でも吸収するという日本の思想を思い出してほしい。

 と私はいいたい。

 

2010年9月10日 (金)

慶應夕学アゴラ講座で、一緒にドラッカーを勉強しましょう。

 今日は、慶応夕学アゴラ講座 「ドラッカー再発見」の打ち合わせで、担当の城取さんと保谷さんにあった。お二人とも頭が良いので、いろいろと議論ができ、とても知的に楽しい時間を過ごせた。関心のある人は、ぜひ以下をクリックして参加してください。

 http://www.sekigaku-agora.net/course/kikuzawa_kensyu2010.html

 また、夕学のブログでもこの講座を紹介していただいているので、ぜひ参考にしてほしいと思います。

http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2010/09/post_390.html

 私は、この講座でみなさんに理解してほしいのは、ドラッカーが経営者に求めるものは、あるいは企業に求めているものは、お金儲けではないということ。何よりも、ドラッカーのマネジメントを学び、理解し、それを実行すると、お金が儲かるのではなく、自由な産業社会が形成されるということ。これです。

 ドラッカーの初期の本はいずれも難しいのですが、そこには深い意味がたくさん隠されています。それをいっしょに解明していきたいものです。

2010年9月 9日 (木)

経営哲学学会はおもしろかった。今度は、日本公益学会だ。

 昨日、2日間(役員は3日間)にわたる経営哲学学会全国大会が無事終了した。たくさんの人が来てくれて、私は個人的に成功したと思っている。

 学会が成功しているかどうかは、やはり参加者の人数だ。面白い報告や発表ならば、必ず人は来るのだと思う。驚いたのは、千倉書房の関口さんが、こんな小さな学会に来てくれていたことだ。感謝したい。

 今回は、統一論題のテーマが「文明」に関するものであり、内容があいまいでぼやけるのではないかとはじめから心配していた。しかし、開催校の早稲田の厚東先生のたっての願いにより、決定した。

 しかし、やはりいくぶぼやけてしまった。この点は、反省すべきだったかもしれない。しかし、報告者のメンバーの人選は良かったと思う。

 それから、統一論題の質問者に院生などの若手を起用した点も良かった。若手の元気のよさが光った。ドキドキした。今後も、この企画を続けてていきたいと思った。刺激的だった。今度は中堅の会員にも登壇してもらいたい。

 会員のみなさんには、いろんな不満があると思いますが、学会の会長としてできるだけ多くの先生が参加してみたくなるような企画を立てますので、どうか今後もよろしく。

 しかし、二つの学会の連チャンは本当に本当に辛く、疲れた。もう体調が相当悪い。寝不足だ。疲れた。

 しかし、もうひとつ仕事が残っている。日本公益学会のご招待で、登壇しなければならない。

 私の報告テーマはこれです。

 「功利主義的CSR VS 人間主義的CSRードラッカーとカント」

日本公益学会(成城大学9月11日12日)

たぶんだれでも参加できるのではないかと思います。

http://www.koeki.gr.jp/doc/jaks2010_program.pdf

2010年9月 5日 (日)

第27回経営哲学学会のお知らせ

 本日、石巻の経営学会から帰宅、明日から本番の経営哲学学会が始まる。この学会は、みんなで楽しむ学会だ。

 年配中心ではない。できるだけ若い学者や大学院生を表にだすという方針だ。今年の早稲田大学での見ものは、統一論題に質問者として大学院生を登壇させることだ。これは実験だ。

 学者には分かるが、統一論題というのは、偉い先生がみんなの前に発表する機会だ。そこで、報告するということは、とても名誉なことだろう。そのような場に、大学院生を登壇させて、その大家の報告者に若手大学院生を質問させるという試みなのだ。

 失敗したら、二度と行わないが、おもしろければ、今後も行う。また、今後は、中堅の学者を中心に質問者を決定することになるかもしれない。

 明日は理事会で、9月7日の10時、8日の9時ごろから早稲田大学11号館7階(受付)で開催される。

 参加費を支払えば、だれでも参加できますので、関心のある人は参加してください。すでに2名の参加希望者あり。

 テーマ:未来を拓く文明と経営哲学

サブテーマ1:「文明と科学技術を問う」

サブテーマ2:「資本主義を問う」

サブテーマ3:「制度・組織を問う」

2010年9月 1日 (水)

ドラッカーがいうマネジメントの適正とはこれだ

 どういった人がマネジメントに適しているのか。リーダー、マネジメントに必要な条件は何か。

 これは、本当に難しい問題だ。会社にとっても、企業にとっても、組織にとっても。そして、大学のゼミにとっても。

 この難問に答えを与えているのか、ドラッカーだ。答えは、「真摯さ」である。

「真摯さは学習できない。・・・・真摯さはごまかしがきかない。一緒に働けば、特に部下にはその者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。部下たちは、無能、無知、頼りなさ、不作法などほとんどのことは許す。しかし真摯さの欠如だけは許さない。そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない。」

「人事において、断固、人格的な真摯さを評価することである。なぜならば、リーダーシップが発揮されるのは人格においてだからである」。

●ドラッカーに関心のある人は、慶應MCC夕学プレミアム『agora』(アゴラ)で、お会いましょう。

http://www.sekigaku-agora.net/

http://www.sekigaku-agora.net/course/kikuzawa_kensyu2010.html

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