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2010年8月10日 (火)

計量的な研究への疑問

 ブログながらくお休みしていました。とにかく、学会関係に忙しく、なかなか書く気になれなかった。しかし、私のこのブログを楽しみにしている人もいるようなので、再開したいと思います。

 最近は、学会関係の論文の査読をする機会が多いのだが、気になることがある。学会誌に掲載されるには、統計的な論文の方が掲載されやすい。しかし、私は以下の点で幾分不満がある。

 まず、科学哲学によると、ある命題が経験的に正しいかどうかを正当化する方法は、以下の二つのステップが必要となる。

(1)その命題自体が無矛盾であるかどうか。(構文論=シンタックス:論理学的問題)

すべてのカラス黒い。(無矛盾○)

すべてのカラスは黒いものもいるし、黒くないものいる。(自己矛盾×)

あすは晴れるかあるいは雨かあるいは曇りである。(自己矛盾×)

なぜだめか。自己矛盾は命題はすべてを状態を説明すので、経験的にテストしなくても正しくなる。つまり、経験的に意味がないのだ。

(2)その命題が経験的事実と対応するかどうか。(意味論=セマッティクス:経験的問題)

「机」という言葉が実際に経験と対応するかどうか。「すべての経営者は利益最大化している」という命題が事実と対応するかどうか。

多変量解析、重回帰、因子分析などは、おそらく(1)の論理的問題をクリアーにしているのだが、(2)に関して扱うデータが非常に怪しいのだ。とくに、定性的な事態を定量化するマーケティング分野の研究は、昔はこの点に関する議論は厳しく追求されたが、最近は甘い。

とくに、マーケティングでは取引コスト理論やエージェンシー理論を使う分野も多いのだが、「取引コスト」という概念や「資産特殊性」という概念と事実の対応があまりにも甘い気がする。そのため、すぐに取引コスト理論を反証したがる傾向がある。困ったものだ。

また、定量的なデータたとえば財務データに関しても、疑問がある。結局、そのようなデータは企業からの会計情報にもとづくもの多いのだが、そもそもその会計的なデータが取得限界主義で記帳されている場合には、とくに、現代のようなデフレやあるいはインフレのような価格変動が多きときには、あてにはならないのだ。

計量研究、実証研究をする人は、ぜひ注意してほしいと思います。

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