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2010年8月18日 (水)

哲学的議論、ドラッカー、自由

 ドラッカーの著書『産業人の未来』は最高におもしろい本だ。これは皮肉だが、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 』を読み終えたら、ぜひ一度挑戦してほしい。本当のドラッカーに会えるだろう。たぶん、挫折すると思うが・・・・

 この本は、ほんとンど哲学書であり、政治学の本である。私は、この本のドラッカーの自由に関する記述が好きだ。それは、あかたも詩のように美しい。流れるような書き方だ。

 不思議だ。どうしてこんなに教養があったのだろうか。どう考えても、たくさんの哲学書を読んでるとしか思えない。すごい。私には、カント哲学とダブって見えるのだが・・・・

 ところで、最近は不思議なことに、哲学ブームだ。しかし、哲学は難しい。いろんな意味で。

 若い時に、カント、ヴェーバー、ポパーという新カント派の流れを研究していた。当時は、学問の反省の時期で、「経済学は科学なのか?」「経営学は科学なのか?」という問題がアカデミックな世界で問われていた。

 こういった問題を解くにはそもそも「科学とは何か」という問題に答える必要がある。そこで、われわれは科学の哲学に向かったのだ。当時は、K・R・ポパーの科学哲学が最強だった。批判的合理主義だ。

 彼は、科学と非科学の境界設定基準として、反証可能性を打ち出した。この反証可能性のもとに、経営学は科学なのかどうかを方法論的に省察する。これが大学院のときの研究だった。

 これを学会で報告することにはリスクがあったし、偏見をもたれた。「お前のような若ぞうが、経営学という学問が科学かどうかなど議論するには、100年早い!!!」という感じだった。とくに、「経営学には反証可能な理論はない」などどいったときには大変だった。

 この同じことが、いまでもある。

 最近、私はポパーよりもカントの自由論を語るようにしている。とくに、企業人に講演するとには、カントを引き出している。そのとき、多く企業人が偏見を持っている。「そもそもカントは外人であり、われわれ日本人は学べるのか?」

 こういった質問を受けると、その教養のなさに失望する。

 カントは、西洋人とか日本人とかいった低レベルの話しではなく、人類、人間、一般に成り立つ普遍的原理を研究した学者なのだ。そんなレベルの低い学問を展開したわけではないのだ。彼の哲学は人間学的な哲学なのだ。日本人も人間なら、当然、しかもおおいに学べるのだ。

 もうひとつ、西洋哲学ぐらい知らないと、欧米人のビジネスマンに相手にされない時代がきているのだ。静かなる第二の開国時代だ。(人はグローバル化というのだが・・)日本はもう成熟した社会であり、単なる金もうけ感覚での行動は許されないのだ。ヨーロッパ人と同じように、対等に哲学的議論をする必要があるのだ。それが、アジアの代表だ。

 かつて、西洋に追い付くために、国は哲学教育を後押しした。当時の東京帝国大学の学生はデカンショを学んだ。デカルト・カント・ショーペンハウエルだ。同じ時期に、おそらくドラッカーもヴィーンでデカンショを読んでいたはずだ。とくに、東大ではカントが人気があった。

 彼らは、後に日本を経済大国へと発展させる企業家になっていったのだ。この時期の経営者には偉大な人物が多い。

 

 

 

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