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2010年8月23日 (月)

確率言明をめぐる二つの解釈

 K・R・ポパーは科学と非科学の境界設定基準として反証可能性を提案した。このとき、問題になったのが、確率言明だ。

(命題1)「明日、横浜で雨が降る確率は10%である」

この言明は反証できるのだろうか?この言明を省略せずに正確に記述すると、こうなる。

(命題2)「明日、横浜で雨が降る確率は10%であり、雨が降らない確率は90%である」

これでは、反証できない。実験する前から真となる。しかし、今日、量子力学は確率言明である。それは、科学的であるといわれている。

そこで、確率言明をめぐる解釈が問題となる。実は、命題1に関して、二つの解釈が成り立つのだ。あまり良い例ではないので、申し訳ないのだが、

(命題1の主観的解釈)

「明日、横浜で雨が降る確率は10%である」という命題は、自分の主観的信念の度合を表しているのであって、実在世界を表しているのではない。この場合、非科学的言明である。たとえば、これまで横浜で100日過ごしたがそのうち10日は雨だったので、「明日、雨が降る確率は10%だ」という場合には、この命題は信念の表明だ。(帰納法的で、ポパーはこれを嫌う)

(命題1の客観的解釈)

「明日、横浜で雨が降る確率は10%で、降らない確率が90%」であるという不確実な状態が、明日の現実の横浜の状態だという解釈。これは反証される可能性があると解釈されうる。(どのように、といわれると、すっきりしないが)

なぜこんな話をしているかというと、ネット書店の書評の内容もこれに似ていると思うことがあるからだ。上記の主観的解釈が多いのではないかというのが、私の解釈である。

「この本はひどい、つまらない」という厳しい評価は、その本が客観的につまらないのか、あるいはその本をつまらないとしか読めない程度の人がそこにいるのか。

難しい問題だ。匿名論文として、「アインシュタインの特殊相対性理論」の論文を用いて、実験してみたいものだ。これは、ノーベル賞の対象とは、ならなかった論文だ。

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