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2010年8月

2010年8月31日 (火)

ドラッカーが経営管理者に求める究極の要素とは?

 ドラッカーの本を読むと、そこには経営管理者には何が必要か、いろんなことが書いてある。ドラッカーの癖は、オーストリー学派的で、「これに関する条件は3つある」とか、「これを実現する方法は4つしかない」といった形で、整理するのが非常にうまい。大抵、3が好きなようだ。

 そして、それを解説し、それを会得するようにといういろんな解説書が、ドラッカーの解説本として世間に出回る。読みやすいように、二色刷りの本だったり、マンガだったり、物語風だったりして。

 そして、それをビジネスマンは購入し、そしてドラッカーがいっていることを実践するのだろう。もしかしたら、それによって偶然昇進するかもしれない。また、上司に褒められるかもしれない。

 しかし、私はドラッカーの本を読んで思うことは、ドラッカーが経営管理者に求めることは極めて簡単だ。それは、たぶん学べない。天性のものだ。それを表す、ドラッカーの言葉をみなさんに贈りたい。

「マネジメントについていかなる専門教育を受けていようとも、経営管理者にとって決定的に重要なものは、教育やスキルではない。それは真摯さである。」

「知識や概念の教育だけでは、経営管理者は明日の課題を果たすことができない。明日の経営管理者は、仕事ができればできるほど真摯さを求められる。」

ドラッカーに関心のある人は、慶應MCC夕学プレミアム『agora』(アゴラ)で

お会いましょう。

http://www.sekigaku-agora.net/

http://www.sekigaku-agora.net/course/kikuzawa_kensyu2010.html

2010年8月30日 (月)

ドラッカーの辛辣な名言をみなさんに教えたい。

ドラッカーはいろんなおもしろいことをいう。ときどき、辛辣なこともはっきりいう。そこも、彼の魅力のひとつなのだろう。彼の辛辣な名言をどうぞ。

「ビジネススクールで人事管理論を学んだから人をマネジメントする資格があると思っている若者ほど、役に立たず悲しむべき存在はない。役に立つことをほとんどなし得ず、害を与えるだけである。」

ドラッカーはおもしろいなあ~。

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ソニーのウォークマンついにアップルのiPodをとらえる

 もうソニーのウォークマンはアイポットには勝てないかと思っていたが、ついにとらえたという記事に感動した。

●ウォークマン、iPod超えへ ソニー初の悲願 8月国内販売

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/computer/audio_player/?1283139560

 しかし、アプッルのスティーブ・ジョッブは、本当に頭のいい人だ。そんな簡単なことではないのかもしれない。また、別の次元の世界での戦いがすでに企画されているのかもしれない。末恐ろしさがある。

 しかし、どれだけ相手が恐るべき戦略を展開してきても、いまわれわれが考えうる戦略の種類は三つしかないのだ。

物理的世界での戦略アプローチ

心理的世界での戦略アプローチ、

知性的世界での戦略アプローチである。

 このような多元的世界観に立って、相手の出方を待ち構えていれば、動揺することはない。ソニーがんばれ。

書評をめぐる誤りのパターン

 本を出版すると、いろんな書評をアマゾンやブログで書いていただける。それは、ありがたいことだ。もしそれによって、その本が知られ、さらに読者が増えれば。

 しかし、本に関して誤った情報が書かれ、逆に潜在的読者が顕在化せずに、避けることもある。この場合には、マイナスなる。

 私の本に関する誤解のパターンとしてよくあるのは、私はある現象を取引コスト理論で説明しているのに、エージェンシー理論や所有権理論で説明しているとか。使っていないのに、オリバー・ハートの契約理論で説明しているとかいった書評である。

 たぶん、取引コスト理論、エージェンシー理論、所有権理論もハートの契約理論も同じように見えるほど大ざっぱな理解をしてるのだろう。

 しかし、こういった大ざっぱな読み方は、私の本にはなじまない。それだと、新古典派経済学や新制度派経済学やゲーム理論の区別もできないだろう。さらに、行動経済学との違いも理解できないだろう。もうぐちゃぐちゃだ。

 しかし、それでも、お客様は神様です。

 忍耐強くなったなあ~私は。いや、年を取っただけかもしれない。

2010年8月29日 (日)

圧倒的才能に乾杯!ーエディット・ピアフ

 いろんな有名な音楽家いる。私たちは、学校の音楽の時間で、触れる。バッハ、ヴェートベン、モーツアルト、などなど。

 結婚し、子供ができると、子供にピアノを習わせる。そして、成果発表会がある。いろんな曲をたくさんの子供たちが短く弾く。そのときに、気付いた。いろんな作曲家の曲を聴いて。

 チャイコフスキーの圧倒的才能を。すごい。輝いている。くるみ割り人形、・・・・・、ワンランク上を行っている。子供の弾くピアノだが、出だしから違うのだ。神に選ばれた人だと思った。

 この同じ印象を抱いた人物がもう一人いる。大戦中を生き抜き、数奇な人生を送ったフランスの歌手エディット・ピアフ。「愛の賛歌」など有名だ。

 もう説明はいらない。彼女の圧倒的才能は聞けばわかるだろう。神が地上に送り込んだ人だ。

録音

http://www.youtube.com/watch?v=WqW7CgJNkAg&feature=related

復活をかけて臨んだ晩年のピアフ(歌えるのかどうか心配する観衆)、そのあとすぐに亡くなるのだが、・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=Ki5vBsGOhwo&feature=related

2010年8月28日 (土)

「行為」と「行動」の違い

普段何気なく、われわれは「行動」と「行為」という言葉を使っている。まったく区別していない人もいる。

しかし、昔、ドイツ語の論文を翻訳しているとき、「行動」と「行為」は区別されて使用されているように思えた。つまり、カント的な二元論的な人間に関連しているようだ。あるいは、ヴェーバー的にいえば、「目的合理的」行動と「価値合理的」行為に対応しているのかもしれない。

「行動」=刺激反応行動、因果法則に従う行動、動物的行動、機械的行動

「行為」=自由意志にもとづく行為、自らはじめる行為、自意識的な行為、人間的行為

また、ここまでこだわる必要はないかもしれない。

2010年8月27日 (金)

ドラッカーとカントに学ぶ「実践」という言葉の意味

「実践」という言葉がよく使われる。

大抵、それは法則や理論を現実に応用することを意味している。これが通俗的解釈だ。

しかし、カントの「実践理性」やドラッカーのいう「実践」はそれとは意味が異なるのだ。

「実践」というのは、「理論」つまり因果法則を現実に応用して行動することを意味するのではなく (これだと消極的で受動的な行動になる。動物的、機械論的でもある。理論理性の応用にすぎない)。

自由意志に基づいて自由を行使し現実を変革する行動のことをいうのだ。つまり、刺激反応的な受動的行動ではなく、自らはじめる行動であり、能動的で、その行動の原因が唯一自分にある人間的な行動なのだ。これが「実践」(実践理理性)の意味だ。

カントは、「自由意志に関わるすべての行動を実践的と呼ぶ」と言っている。

ドラッカーは、マネジメントの実践として以下の言葉を述べているのだ。

「マネジメントは、科学や専門職業の要素は含んではいても、そのいずれでもなく、あくまでも実践である。」

「マネジメントの働きは、受動的な反応や適応にどとまらない。マネジメントには新しい経済をつくる責任がある。その経済の中にあって、変化を計画し、その実現を先頭に立ち、担い手となる責任がある」

「マネジメントは、・・・経済を自らつくるものである」

「意識的かつ目的的な行動によってその環境を変えるかぎりにおいて、真にマネジメントをしているといえる」

これが、「実践」という言葉の意味である。

「実践」を「理論の応用」と理解すると、自由主義者の代表であるカントもドラッカーも泣きそうだ。人間はいないのかと。

ドラッカーに関心のある人は、慶應MCC夕学プレミアム『agora』(アゴラ)でお会いましょう。

http://www.sekigaku-agora.net/

http://www.sekigaku-agora.net/course/kikuzawa_kensyu2010.html

いまこそ経済政策を、そして総合的な政策を、そして戦略を

 ついに、ここまで来てしまった。

 「1ドル60円」突破も 円高阻止の妙策なし!

http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/jcast-74365/1.htm

私は、ドルもユーロも株も保有しているので、どれだけこういった資産価値が低下しているのか肌身に感じている。そして、この感覚は企業経営者も同じのハズだ。

党首選のことばかり考えて、いまの政府は何もしようとしない。このこと自体が、もう駄目なのだ。もう個別企業のマネジメントレベルの問題ではない状況にあると思う。為替の問題だけは、どうしようもないのだ。

これは、経済政策、外交、その他、一致団結して戦略を展開しないと、日本経済は本当におかしくなるのだ。

最近のテレビでは、今度の党首選のことばかり、この悪化する経済状況に対するコメントは少ない。それは、マスコミだけではなく、やはり現在の内閣自体の問題でもあると思える。

まったく、運よく、中銀がドル買いをして介入してくれたようだが、それこそ戦略的に連携してほしいものだ。

1ドル=60円なんで、日本経済の崩壊だ。

2010年8月26日 (木)

ドラッカーの人間へのこだわりはすごい!

 ドラッカーの本を読んでいると、その人間へのこだわりがすごい。

 企業は製品を生み出すよりもリーダーを育成することの方がはるかに大事だといったようなことを平気で言っている。とくに、リーダーの育成に、彼はこだわっているように思える。

 なぜか。彼は、企業が新しい産業社会を形成する原動力だと思っているからであり、その企業行動を決めるのが、その企業のリーダーだと思っているからだ。

 また、彼は自由社会の企業の役割として完全雇用を目指せと言っている。企業の社会的責任度をテストするには、その企業が不況でもいかに雇用に力をいれているかが重要だというのだ。この点は、まさにいまの日本企業にぜひお願いしたい。

 ドラッカーのこういった点に注目すると、ドラッカーが古き良き時代の日本企業に惹かれていったのは決して偶然ではないように思える。運命の糸に惹かれていったのかもしれない。

 「結果がどうのこのではなく、みんなで一緒にやることが何かうれしくて何か楽しいんだ!」

ということなのかもしれない。

 

 古き良き時代を思い出すために、お酒を飲んで、Juli London の In other words でも聞いて寝よう。若い人にとっては、エバンゲリオンの最後の歌かな?

http://www.youtube.com/watch?v=eQPiV_cauyI&feature=fvw

2010年8月23日 (月)

確率言明をめぐる二つの解釈

 K・R・ポパーは科学と非科学の境界設定基準として反証可能性を提案した。このとき、問題になったのが、確率言明だ。

(命題1)「明日、横浜で雨が降る確率は10%である」

この言明は反証できるのだろうか?この言明を省略せずに正確に記述すると、こうなる。

(命題2)「明日、横浜で雨が降る確率は10%であり、雨が降らない確率は90%である」

これでは、反証できない。実験する前から真となる。しかし、今日、量子力学は確率言明である。それは、科学的であるといわれている。

そこで、確率言明をめぐる解釈が問題となる。実は、命題1に関して、二つの解釈が成り立つのだ。あまり良い例ではないので、申し訳ないのだが、

(命題1の主観的解釈)

「明日、横浜で雨が降る確率は10%である」という命題は、自分の主観的信念の度合を表しているのであって、実在世界を表しているのではない。この場合、非科学的言明である。たとえば、これまで横浜で100日過ごしたがそのうち10日は雨だったので、「明日、雨が降る確率は10%だ」という場合には、この命題は信念の表明だ。(帰納法的で、ポパーはこれを嫌う)

(命題1の客観的解釈)

「明日、横浜で雨が降る確率は10%で、降らない確率が90%」であるという不確実な状態が、明日の現実の横浜の状態だという解釈。これは反証される可能性があると解釈されうる。(どのように、といわれると、すっきりしないが)

なぜこんな話をしているかというと、ネット書店の書評の内容もこれに似ていると思うことがあるからだ。上記の主観的解釈が多いのではないかというのが、私の解釈である。

「この本はひどい、つまらない」という厳しい評価は、その本が客観的につまらないのか、あるいはその本をつまらないとしか読めない程度の人がそこにいるのか。

難しい問題だ。匿名論文として、「アインシュタインの特殊相対性理論」の論文を用いて、実験してみたいものだ。これは、ノーベル賞の対象とは、ならなかった論文だ。

2010年8月22日 (日)

秋の朝日カルチャーでの講義2010年

 毎回、朝日カルチャーからお願いがあり、今年も、秋に3回講義を行う。私としては、もう辞めたいのだが、「あの茂木健一郎さんも昔からずっとやっていますので・・・」といわれて、今回も引き受けた。

春は、取引コスト理論だったので、秋はエージェンシー理論について説明する。しかも、コーポレート・ガバナンスを中心に説明を行いたい。

 エージェンシー理論に関心のある人、さらにエージェンシー理論によってコーポレート・ガバナンス問題がどのように分析されるのかを知りたい人は参加してください。

朝日カルチャー

http://www.asahiculture-shinjuku.com/kogakuin/koza/2010/08/0245.html

2010年8月21日 (土)

秋の新著『企業の不条理』

 秋の新編著『企業の不条理』中央経済社の初校も予定通り、各担当者に渡っているようだ。楽しみだ。4年ぶりに私の教え子たちとの本だ。

 内容はある程度アカデミックになっている。それぞれの章は、学部学生にも大学院生にも参考になるだろう。とくに、新制度派経済学をどのように応用して現実を分析するのかに関して学べると思う。

 しかし、この本はその手法だけではなく、その内容も面白い。いろんな業界の企業に起こっている不条理現象を理論的に解明しているのだ。いまから本屋に並ぶのを楽しみにしている。

 

2010年8月20日 (金)

ブログの意味

 私のブログが、最近、切れ味がよくなくなったというご意見をいただいた。それは、最近、忙しくてブログを書く気にもなれなかったからかもしれない。できるだけブログは書き続ける必要があるという義務意識で書いているからかもしれない。これが、つらい。

 しかし、そもそも私はブログの意味や意義がよくわかっていない。私は、ブログを独り言や本やセミナーの宣伝の場として使っている程度に考えている。決して、多くの人々を啓蒙しようなどといったことは考えていないのだ。その程度のブログだと考えていただきたい。

 しかし、ブログの世界は、ポパーの世界3だ。私の主観的理解を超えて、多くの人々が自由に私のブログにアプローチでき、そこからいろんなことを学んだり、あるいは嫌な気分になったり、あるいは元気になったりするのだろう。

 難しいなあ~世界3は。

 

2010年8月19日 (木)

日米の教育システムの優劣

 日本と比べて米国の教育はどうですか?逆に、米国と比べて日本の教育はどうですか?

こういった質問に対して、大抵、米国帰りの人は「日本の教育は画一的で、米国は自由だ。だから、米国から発想豊かな人々がでてくるのだ」というのが一般的なあるいはよく聞く意見だ。

しかし、私はこのような見方や見解には懐疑的だ。本当に、米国からすごい発想の人間が生まれているのか?もっと正確にいうと、本当に、米国の教育システムからすごい発想の人間が次々と生まれているのか?

これは私の偏見だが、本当は、米国からすごい発想の人間が生まれているのではなく、すごい発想をもつ人間がヨーロッパやその他の地域から米国に流入しているだけではないのか。あるいは、ノーベル賞級の学者を米国の大学は呼び寄せているのではないのか。本当は、米国の教育システムのもとにはそれほどすごい人間は育ってないのではないのか?非常に懐疑的だ。

それに比べて、日本は英語に対してかなりハンディーを負っているにも関わらず、よくこれだけたくさんのノーベル賞受賞者を生み出しているものだと、私は感心している。いろんな要因はもちろんあるが、アジア諸国からはほとんどノーベル賞受賞はでていない。

今後は、アインシュタイン級の大発見などはないといわれているのだが、そうなると小粒でも偉大な発見をたくさんしている日本人がノーベル賞の有力候補になるらしい。いま、日本には、待っている人がたくさんいるらしい。

こんな状況にあるにもかかわらず、日本の教育システムを頭から否定して、米国の教育システムを礼賛できるのだろうか?私は疑問に思っている。

私も米国の大学に留学したことがあるが、大学レベルでも日本はそれほど劣っていないと思う。ビジネススクールやロースクールやメディカルスクールなどの米国固有の教育システムに関しては、日本は劣っているかもしれないが・・・・それはまた別の話しだ。

安易に米国のシステムを真似だけすればいいという考えはやめた方がいいと思う。

2010年8月18日 (水)

哲学的議論、ドラッカー、自由

 ドラッカーの著書『産業人の未来』は最高におもしろい本だ。これは皮肉だが、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 』を読み終えたら、ぜひ一度挑戦してほしい。本当のドラッカーに会えるだろう。たぶん、挫折すると思うが・・・・

 この本は、ほんとンど哲学書であり、政治学の本である。私は、この本のドラッカーの自由に関する記述が好きだ。それは、あかたも詩のように美しい。流れるような書き方だ。

 不思議だ。どうしてこんなに教養があったのだろうか。どう考えても、たくさんの哲学書を読んでるとしか思えない。すごい。私には、カント哲学とダブって見えるのだが・・・・

 ところで、最近は不思議なことに、哲学ブームだ。しかし、哲学は難しい。いろんな意味で。

 若い時に、カント、ヴェーバー、ポパーという新カント派の流れを研究していた。当時は、学問の反省の時期で、「経済学は科学なのか?」「経営学は科学なのか?」という問題がアカデミックな世界で問われていた。

 こういった問題を解くにはそもそも「科学とは何か」という問題に答える必要がある。そこで、われわれは科学の哲学に向かったのだ。当時は、K・R・ポパーの科学哲学が最強だった。批判的合理主義だ。

 彼は、科学と非科学の境界設定基準として、反証可能性を打ち出した。この反証可能性のもとに、経営学は科学なのかどうかを方法論的に省察する。これが大学院のときの研究だった。

 これを学会で報告することにはリスクがあったし、偏見をもたれた。「お前のような若ぞうが、経営学という学問が科学かどうかなど議論するには、100年早い!!!」という感じだった。とくに、「経営学には反証可能な理論はない」などどいったときには大変だった。

 この同じことが、いまでもある。

 最近、私はポパーよりもカントの自由論を語るようにしている。とくに、企業人に講演するとには、カントを引き出している。そのとき、多く企業人が偏見を持っている。「そもそもカントは外人であり、われわれ日本人は学べるのか?」

 こういった質問を受けると、その教養のなさに失望する。

 カントは、西洋人とか日本人とかいった低レベルの話しではなく、人類、人間、一般に成り立つ普遍的原理を研究した学者なのだ。そんなレベルの低い学問を展開したわけではないのだ。彼の哲学は人間学的な哲学なのだ。日本人も人間なら、当然、しかもおおいに学べるのだ。

 もうひとつ、西洋哲学ぐらい知らないと、欧米人のビジネスマンに相手にされない時代がきているのだ。静かなる第二の開国時代だ。(人はグローバル化というのだが・・)日本はもう成熟した社会であり、単なる金もうけ感覚での行動は許されないのだ。ヨーロッパ人と同じように、対等に哲学的議論をする必要があるのだ。それが、アジアの代表だ。

 かつて、西洋に追い付くために、国は哲学教育を後押しした。当時の東京帝国大学の学生はデカンショを学んだ。デカルト・カント・ショーペンハウエルだ。同じ時期に、おそらくドラッカーもヴィーンでデカンショを読んでいたはずだ。とくに、東大ではカントが人気があった。

 彼らは、後に日本を経済大国へと発展させる企業家になっていったのだ。この時期の経営者には偉大な人物が多い。

 

 

 

2010年8月17日 (火)

新しい編著の初校と空気の研究の原稿

 昨日、中央経済社の市田さんから、秋の新著『企業の不条理(仮題)』の初校が出来上がったとの知らせを受けた。この本は、私の教え子たちとの共同の本であり、全部で10章からなっている。思ったほどページも多くなく、240ページぐらいになりそうだ。内容は面白く、私がこれまで研究してきた不条理シリーズの一つと見ていただければ、ありがたい。また、前回の『業界分析 組織の経済学』中央経済社の第二弾でもある。

 さらに、本日、もうひとつ、このブログでも紹介したが、空気に関する論文もほぼ完成し、ダイヤモンド社に原稿を送った。戦艦大和の沖縄特攻への空気決定を、新制度派経済学を使って科学する内容となっている。山本七平の空気論への挑戦でもある。秋のダイヤモンドHBRに掲載される予定なのだが、内容がつまらないといわれ、ボツにならなければいいのだが・・・・

 個人的には、挑戦的で面白い内容になったと少しだけ満足してるのだが、少しアカデミックかもしれない点が、不安。

以上、関心のある人はぜひ購読お願いします。 

 

2010年8月16日 (月)

Institutionをめぐる全体主義と個人主義

 英語を日本語に翻訳するときに、立場によって異なる訳になる言葉がある。それは、Institutionという言葉だ。ある人は、「機関」と訳し、別の人は「制度」と訳する。

 Institutional investorsは、前者だと、「機関投資家」であり、後者だと「制度的投資家」となる。具体的にいえば、生保やファンドなどのことであるが、どこが異なるのか。

 前者は方法論的全体主義(元マルクス経済学者が多い)の訳であり、後者は方法論的個人主義の訳である。

 方法論的個人主義とは、現象を分析するとき、最小基本単位を明確にし、その集合として現象を分析する方法である。それゆえ、制度的投資家とは、個々人の投資家の資金を制度的に集めて投資する存在という意味になる。あくまでも個人が基本単位。

 これに対して、方法論的全体主義とは、まずはじめに全体があると仮定する。それが、機関だ。それは個々人から構成されたものではなく、個の総和以上のものであり、まさに全体的存在なのだ。この立場に立つと「機関投資家」という言葉になる。

 私は、マルクス経済学者ではなく、しかも方法論的個人主義なので、「機関」という全体主義の訳には非常に抵抗があり、少しわかりずらいのだ。

 とくに、ドラッカーの翻訳を読むときには・・・・・「機関」という言葉が多くでくるので・・・・違和感を感じのだ。

終戦記念日

 終戦記念日になると、日本人は過去の過ちを反省し、新しい未来に向かって発展しようという気持ちを確認しようとする。これは非常に重要なことだ。

 戦後、65年たつのだが、私は一方で科学技術はほんとうに目覚ましく発展したと思う。しかし、他方で人間自体はそれほど発展していないと思う。最後の点で、ものすごく原始的だ。この点を忘れてはならないと思う。

 確かに、現代のわれわれは法治国家であり、人々に法制度にもとづいて理性的に行動している。しかし、国際社会はどうだろうか?ざっくりいえば、いまだに力の世界、暴力の世界だ。だから、平和ボケしてはならないのだ。そういった事実を忘れてはならないのだ。

 

 ところで、本日、テレビをみていたら、番組の最後に、終戦記念日に一言と、司会者がいつも出てくる評論家に振った。その発言はいつものワンパータンの発言だった。

 「やった日本人は忘れるものが、やられたアジアの人々は忘れないのだということを忘れないように」

 私は、そのワンパターンの文言を全面否定するつもりはないが、やった方の日本人もこれまで決して忘れたことはなく、むしろアジア諸国から批判されないように、いつもびくびくしている感じすらするのだが・・・・・

 まあ、敗戦記念日と言わずに、終戦記念日と言っている点がそもそも傲慢だという人もいるので、やはり上記の発言は有効なのかもしれないが・・・・

 難しい問題だ。

2010年8月13日 (金)

本日は日本酒造業界にお願いに

 経営哲学学会では、毎年、全国大会の懇親会で鏡割りを行うのだが、そのお酒をお願いしに、本日、学会長として酒造業界の中央会にいった。

 私自身、それほどお酒が好きではないのだが、経営哲学学会は日本酒の好きな人にはたまらない学会なのだ。お酒の好きな学会員は、ぜひペットボトルをもって懇親会にきてほしい。

 さらに、お酒で超有名なあの「一ノ蔵」の櫻井会長が経営哲学学会の理事なのだ。櫻井会長は慶大の商学部のOBなので、お酒を寄付していただき、毎年、お世話になっている。会長には、何度もお願いして学会でお話してもらっているのだが、話がうまいのだ。すばらしい。

 また、一度、試作品として「一ノ蔵」の現代的なお酒が学会の懇親会ででたことがあったが、それは本当においしい酒だった。まるでワインのようななんというかすごいのがあった。後日、慶大の渡部先生に聞いたのだが、その酒は高島屋かどこかのデパートで販売されており、かなり高価だったらしい。

 経営哲学学会は学問的にも面白いが、お酒も楽しめる、良い学会なのだ。

 

 

2010年8月11日 (水)

野中郁次郎先生からのお手紙

 先日、野中郁次郎先生からいただいた御高著『流れを経営する』のお礼のお手紙をお送りしたところ、本日、大変、嬉しいことに、野中先生からお手紙をいただいた。

 内容はとてもありがたく、嬉しいものだった。改めて、研究しなけければならないという気持ちになった。そして、まさに混迷する現代に必要なのは哲学なのだという点で、僭越ながら、野中先生と私の意見は完全に一致した。

 いま、野中先生は世界に向かって、知識学派(School of Knowledge)を形成し、メッセイジを発信されようとしているのだが、機会があれば、ぜひその活動に参加させてもらいたいと思っている。とにかく、野中先生のスケールは広くて大きい。

 御高著『流れを経営する』の最後に、あのカルフォルニア・バークレーのデビッド・ティース教授がコメントしているのだが、本当にすごいことだ。

 

 

2010年8月10日 (火)

野中先生の著『流れを経営する』

 野中郁次郎先生から、最新著『流れを経営する』をいただいた。

 いろんな意味で、すごい本だ。こんな本が書けるなんて、本当に羨ましい。売れるとか売れないとか。もうそんなことはどうでもいい本だ。

渡邊著『ドラッカーと松下幸之助』

 先日、PHPの渡邊さんから『ドラッカーと松下幸之助』というphpビジネス新書をいただいた。

 私は、秋に慶応の丸の内キャンパスKMMCで、ドラッカーの講座を開くので、ドラッカーに関する本にはさっと目を通すようにしている。私の印象では、最近のドラッカーに関する本は、ブームに乗っかり、ほんどんどドラッカーと関係ないものが多いという印象だ。

 ときどき、これがドッラカーの経営学とどこが関係あるのかというひどいものある。表紙がドラッカーーで中身が全く関係ないものも多い。応用することばかりに目を奪われて、ドラッカーの原理部分がほとんどないのだ。

「イノベーション」、「顧客の創造」、「事業部部制」、「目標による管理」これらの言葉に関係すると、なんでもドラッカーというわけだ。やはり、何事も原理・原則は重要だ。そうでないと、もう来年はドラッカーなど忘れているだろう。

私の講座では、まじめにドラッカーの経営哲学を議論したいので、役に立つ本が少ないのだ。みんな商売がうまいという感じがする。見事だ。

こうした思いもあって、渡邊さんの新書『ドラッカーと松下幸之助』を読んだが、久しぶりにまともな本と出ったという感じがした。丁寧にドッラカーのことが書かれていて、非常に参考になった。さらに、松下幸之助についても学べるので、お得だ。

興味深いのは、ドラッカーの日本人論、日本的経営論についてのコメントだ。私も、光文社新書でドラッカーについて書く予定であるが、ぜひ参考にさせてもらおうと思う。

関心のある人はぜひご参加ください。

慶應MCC夕学プレミアム『agora』(アゴラ)

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計量的な研究への疑問

 ブログながらくお休みしていました。とにかく、学会関係に忙しく、なかなか書く気になれなかった。しかし、私のこのブログを楽しみにしている人もいるようなので、再開したいと思います。

 最近は、学会関係の論文の査読をする機会が多いのだが、気になることがある。学会誌に掲載されるには、統計的な論文の方が掲載されやすい。しかし、私は以下の点で幾分不満がある。

 まず、科学哲学によると、ある命題が経験的に正しいかどうかを正当化する方法は、以下の二つのステップが必要となる。

(1)その命題自体が無矛盾であるかどうか。(構文論=シンタックス:論理学的問題)

すべてのカラス黒い。(無矛盾○)

すべてのカラスは黒いものもいるし、黒くないものいる。(自己矛盾×)

あすは晴れるかあるいは雨かあるいは曇りである。(自己矛盾×)

なぜだめか。自己矛盾は命題はすべてを状態を説明すので、経験的にテストしなくても正しくなる。つまり、経験的に意味がないのだ。

(2)その命題が経験的事実と対応するかどうか。(意味論=セマッティクス:経験的問題)

「机」という言葉が実際に経験と対応するかどうか。「すべての経営者は利益最大化している」という命題が事実と対応するかどうか。

多変量解析、重回帰、因子分析などは、おそらく(1)の論理的問題をクリアーにしているのだが、(2)に関して扱うデータが非常に怪しいのだ。とくに、定性的な事態を定量化するマーケティング分野の研究は、昔はこの点に関する議論は厳しく追求されたが、最近は甘い。

とくに、マーケティングでは取引コスト理論やエージェンシー理論を使う分野も多いのだが、「取引コスト」という概念や「資産特殊性」という概念と事実の対応があまりにも甘い気がする。そのため、すぐに取引コスト理論を反証したがる傾向がある。困ったものだ。

また、定量的なデータたとえば財務データに関しても、疑問がある。結局、そのようなデータは企業からの会計情報にもとづくもの多いのだが、そもそもその会計的なデータが取得限界主義で記帳されている場合には、とくに、現代のようなデフレやあるいはインフレのような価格変動が多きときには、あてにはならないのだ。

計量研究、実証研究をする人は、ぜひ注意してほしいと思います。

2010年8月 4日 (水)

ゼミ合宿後

 先日、ゼミの長い合宿から帰宅した。今回合宿は有意義であった。学生も非常にいいケーススタディを行ってくれた。

 今回はインパ―ル作戦の「失敗の本質」について問題を提起し、6つのグループに分かれて分析し、議論し、最終的にパワーポイントで発表してもらった。

 アカデミックな議論を展開するチームもあり、またプレゼンの素晴らしいチームもあり、良かった。大変、有意義であった。

 帰宅してから、たくさんの事務的仕事が残っていたので、それを処理するのに時間がかかった。疲れた。

 ときどき、あまりにもたくさんする仕事があり、ブログも含めて何も書きたくないというときがある。ということで、ブログは手抜きとなっている。このブログに関心のある人はには申し訳ない。

 明日から、休暇をとって9日に帰宅する予定。

 やり残しの仕事があり、不安だ。

 

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