松下幸之助の言葉 危険な人
数年前、松下幸之助記念で京都のPHPの座会に呼ばれたことがある。そのとき、ビデオを流していて、ついつい松下幸之助の話に吸い込まれてしまったことがある。
そのとき、私がはっとしたことがある。松下幸之助は、優秀な人、頭のいい人は本当に優秀で、役に立つし、企業にとっては必要な人材だ、しかし、危険なんだ、といっていた。
私がこの話に聞き入ってしまったのは、私にも理解できる点があったからだ。私の解釈はこうだ。頭のいい人は、すぐに計算してしまうのだ。人よりも早く計算できるので、ひとよりも早く行動ができ、ひとよりもお金を儲けるかもしれない。しかし、逆もあるのだ。人よりも早く計算するので、あきらめもはやいのだ。
さらに、人よりも早く計算できるので、正しいことも先回りして行動に移すだろう。しかし、逆もある。悪いことも一番早く行うことができる。しかも、巧妙に。
私は、ここで頭のいい人は頭がいいので、それを良いことにも悪いことにも使えるかあら危険なのだということをいいたいのではない。だから、こそ倫理が必要だということを言いたいのではない。
私がいいたいのは、頭のいい人は計算が早いので、カント的にいえば、他律的に行動しやすいということだ。ヴェーバー的にいえば、目的合理的な行動をすぐしてしまう人なのだ。それは、人間的ではなく、刺激反応する動物と同じなのだ。しかも、人一倍早く計算して、その計算の結果に反応して行動する行動する危険な動物的人物なのだ。(計算機械的人間といってもいい)
そのときどきの状況で、計算して出てくる結果に依存する人間は他律的なのだ。だから、状況によって良いことも悪いこともできる。これが危険なのだ。
また、こういった頭のいい人は、すぐに取引コストを計算するので、不条理に陥ってしまうのだ。そして、計算するので、動けなくなったり、沈黙したりする。あの「空気」を形成し、「空気」を読み、行動するのだ。
近いうちに、このような研究を発表したいと思っている。
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