ポパーの反証可能性とポパーの世界3理論の関係
休日前に体調を少し崩していた。仕事がたくさんあったが、家族旅行も決定しており、すべてが中途半端に休日を過ごしてしまった。
明日から、またたくさん仕事があるのだが、がんばりたい。課題がたくさんあって、どれも挑戦したいのだが、体と相談しなければならない。
ところで、最近の拙著ではいつもポパーの世界3理論を取り上げているので、少しはポパーのことも理解していたでける方が多くなったかもしれない。多くの人は、ジョージ・ソロスを通してポパーの存在を知った方が多いのではないかと思う。
ソロスのポパーは初期のポパーであり、晩年の世界3の理論は彼の著書には出てこないので、私がポパーの世界3理論の話しをすると、そんなこともいっていたんだという人が多い。
私のポパー理解は単純だ。ポパーの反証可能性の議論は、帰納主義を徹底的に批判し、自滅させるものであった(これはポパーの言い方。だれが論理実証主義者を殺したか?私ではなく、勝手に自滅したのだというのがポパーのいい方)。
しかし、実はポパーの議論も論理学的に詰めてゆくと限界に出くわすのだ。その限界は簡単だ。反証可能性に度合いがあるという点だ。そうすると、反証可能性と反証不可能性の境界(demarcation)が論理学的にはかぎりなくあいまいになるのだ。0.0000000・・・・・・・1%反証可能性ある言明と反証不可能な言明とは数学的には大した差はないのだ。
この限界を理解したポパーは、それでも帰納主義を否定するために、晩年、世界3理論という存在論を持ち出したのだ。と私は推測している。世界1と世界3は異なるのだ。それぞれ自律的なのだということで、帰納法は存在しないのだ。シンプルな話だ。
私は、ポパーの反証可能性の議論も好きだが、やはり論理的限界を感じる。それよりも、世界3理論は論理的な切れはないが、哲学的で面白いのだ。
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