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2010年5月

2010年5月30日 (日)

日常の楽しみ

 私には、日常の楽しみというものはほとんどない。酒がそれほど好きでもないし、散歩が好きでもない。映画もそれほどみるほうでもない。

 そんな私だが、最近は、毎日、家内に昼の韓国ドラマを録画してもらい、帰宅後、夜中にそれをひとりで見ることを楽しみにしている。このブログでも何度も書いたが韓国のドラマは面白い。良くできている。最近は、「春のワルツ」、「アイリス」、「ラスト・・」などを見て感動している。

 ストーリーも面白いし、俳優もいい。男優もカッコいいし、女優も美人でかわいい。こういった韓国ドラマを見ていると、日本は何か見失ったのではないかと思うことがある。

 実は、1970年代の日本は韓国と似ていた。アイドル時代だ。いまでも、ユーチュブでみると、かわいいスターが多い。しかし、日本はとことん外見を追求していったのだ。そして、やがてその反動がくる。実力主義という名のもとに、アイドルの時代は終わった。

 外見が悪くても歌がうまい人、外見が悪くても・・・すぐれている人、外見が悪くても・・・がすごい人の時代がやってきた。

 私は欲張りなので、実力がありかつ外見もいい人が好きなのだ。実力があり、外見のいい人のドラマを見たい。外見が良いこともある意味で才能なのだ。それは否定してはならない。さらに、見えないが、性格よければもっといい。それも実力だ。

 実力も多元的だ。実力の一元主義に基づく日本のドラマは、つまらない。韓国のドラマの方がはるかに面白いし、一歩上をいっていると思う。普通の人間が到底近づけないほど、多元的に実力を追求してほしい。

 この観点からして、「龍馬伝」はかなりいいのだが、武田鉄也には申し訳ないが、勝海舟は渡哲也だったらもっと良かった。

 

2010年5月27日 (木)

講演『なぜ組織は不祥事に導かれるかー組織の不条理』

 昨日、奈良工業会のお誘いで、『なぜ組織は不祥事に導かれるかー日本軍に学ぶ組織の不条理』について講演した。

 この公演のパワーポイントを作る上で、最も苦しんだのはカントの説明のところだ。いろいろ考えたが、ますますカント哲学が好きになった。

 また、これまで直接カント哲学に入っていく形で説明してきたが、ハーバードのサンデル教授にならって、功利主義批判からカント哲学に入るのが一番良いことが分かった。

 この功利主義からカント哲学への流れは、そのまま経済学から経営学へのなかれ、新古典派経済学からドラッカーの流れでもある。

 今度は、日本能率協会でも講演を行うが、今度はもっと洗練された形で、この流れについてお話してみたい。

 哲学は本当に面白い。

2010年5月23日 (日)

『組織の経済学入門』が6刷になりました。

 みなさんのおかげで拙著『組織の経済学入門』有斐閣が6刷となりました。感謝しております。

『組織の経済学入門』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4641162778/kikuzawakensh-22

菊澤 研宗: 組織の経済学入門―新制度派経済学アプローチ

 この本は、2006年10月頃出版されたのですが、非常に読みやすいという声を聞いています。とくに、組織の経済学、新制度派経済学を一から勉強するにはぴったりの本だと思います。

 関心のある方はぜひご購入お願いします。

2010年5月20日 (木)

講演、カント、ドラッカー

 来週の火曜日に奈良工業会の依頼で奈良市で講演を行う。そこで、ご要望にお応えして「組織の不条理とそこから脱出するための方法」を説明するためにカント哲学について話しをする予定だ。

 また、7月にも日本能率協会の依頼で、同じように「組織の不条理とカント哲学」ついて講演する予定だ。

 これは、いずれも最近注目されているハーバード大学の白熱教室の影響が少しあるのかもしれない。この講義で、カント哲学が語られているからだ。

 たまたま、私が拙著『組織は合理的に失敗する』日経ビジネス人文庫の「あとがき」にカント哲学について書いていて、たくさんの人々がそれを読んでくれているのだ。もちろん、カント哲学については、光文社新書『命令違反が組織を伸ばす』でも、そして最近の『戦略の不条理』光文社新書でも書いている。

戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか (光文社新書)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334035299/kikuzawakensh-22

組織は合理的に失敗する(日経ビジネス人文庫)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/453219511X/kikuzawakensh-22

 私は、今後はこのカント哲学を経営哲学に持ち込みたいと思っている。功利主義哲学に基づく企業経営には限界があるのだ。それを認めない人間主義的であり、かつ厳しいカント哲学にもとづく経営こそ、21世紀に求められているのだ。

 功利主義に基づく他律的で欲望に囚われた資本主義に打ち勝つのは、カントの人間主義的哲学に基づく自律的で自由意志にもとづく資本主義なのだ。そういったことを前から語っていたのは、ドッラカーなのだ。

 これについては、秋の慶応丸の内キャンパスのアゴラの講座、「ドッラカーを読む」でお話する予定です。関心のある方ぜひご参加ください。

 

2010年5月17日 (月)

ハーバード大学の白熱教室

 最近、いろんな人と会うと、必ずハーバード大学の白熱教室を見ていますか?と問われる。実は、見ていなかったのだ。

 最初は、慶応丸の内キャンパスの城取さんからその話を聞いた。その後、出版社の方や、この間はある協会の方から、そして今日は学生からも聞いた。

 その講義スタイルも学ぶべきだが、やはり内容が面白い。カント哲学だ。そして、ハーバード大教授のロールスの正義論へと展開されて行くようだ。

 この講義は、秋の慶応丸の内キャンパスで行う私の「ドラッカー」の講座にぜひ活かしたい。私は、最終的に、カントが生きていたならば、ドラッカーの学説をどう見たかについて語りたのだ。功利主義ではだめなのだ。

  「カントなら、こういうだろう。・・・・・・・・・・」

 私には、カントの哲学とドッラカーの経営哲学が重なって見える。

 関心のある人は、ぜひ秋の「アゴラ」の講座に参加してください。

http://www.sekigaku-agora.net/index.html

2010年5月15日 (土)

ポパーの世界3の自律性と怖さ、そして怒り

 ポパーの世界3の理論は、知性的世界の怖さを教えてくれる。

 ポパーによると、われわれを取り巻く世界は、物理的世界1、心理的世界2、そして知性によってその存在が理解できる知性的世界3から成っているという。

 それぞれの世界は自律的である。つまり、三つの世界は相互に異なるのだ。言いかえると、人間の心理2によって、知性的世界3や物理的世界1を完全にコントロールできないのだ。それぞれ、自律的だからだ。世界3も世界1も人間個人が予期せぬ内容を含んでいるのだ。

 さて、知性的世界とは、毎回いうように、人間の5感ではなく、知性によって理解できる世界である。それは、理論の内容の世界、文学、小説、技術、価値、観念の世界である。

 注目すべきは、この世界には誤った観念、間違った理論、間違った議論も含まれるということだ。(この点で、プラントの真なるイディアとは異なるし、ヘーゲルの神、真なる絶対的精神とも異なる。)

 ある人間は誤った議論を正しいものと理解するかもしれない。また、ある人はそこに別の価値を見出すかもしれない。あるいは、ある人はその誤った議論や小説を鵜呑みにして、激情し、過激な行動にでるかもしれない。

 だから、知性的世界3は自律的であり、そして世界2、世界3と相互作用するために、怖いことが起こりうるのだ。つまり、世界3での誤解が、世界2で人間を心理的に激情させ、世界1の物理的道具を使って、殺人を犯す可能性があるのだ。

 世界3を急速に大きくしたのはインターネットだ。それは、真理、誤解された論証、問題、誤りった議論、誤った主張、そして特定の人を非難する言明などを含んでいる。それゆえに、相当慎重に対処する必要がある。

 それにもかかわらず、私の近くにいる事務の人々は、あまりにも安易にわれわれの情報を扱っていることに、怒りを覚える。しかっりしてくれ!

 

2010年5月14日 (金)

なぜ私がポパーの世界3理論にこだわるか?

 私は、拙著『市場と財務の相互作用』千倉書房、『日米独組織の経済分析』文眞堂、『組織の不条理』ダイヤモンド社、『命令違反が組織を伸ばす』光文社新書では、ポパーの反証主義を中心に隠れポパーリアン的に各所で、ポパーの科学哲学について書いてきた。

 しかし、拙著『戦略学』と『戦略の不条理』では、反証主義としてのポパーではなく、実在論者としてのポパーにもとづいて、世界3理論を隠れではなく、明示的に扱っている。

 私の本を読んだ人の多くは、こんなところでもポパーと会えるとは思わなかったという人が多い。ポパーという人は科学哲学者で、反証可能性の話をする人だと思っていたという。

 そこには、ポパーというのはあなたのいう世界3の理論よりも反証可能性で有名だから、そちらを取り上げた方がいいのではないか?という意味含まれているかもしれない。

 そういったことを言う人は、大抵、ポパーの本を直接読んだのではなく、ジョージ・ソロスの本を読んでいるにすぎない。

 もちろん、私もソロスの本をしっている。私は、純粋ポパーリアンだったので、ポパーの哲学も汚れたなあ~といった偏見を持ったくらいだ。しかも、当時、「ポパー研究学会」という私の先輩たちが設立した会に、ソロスの財団から寄付があり、それをどのように使うかということでもめていたようにも思う。

 もちろん、私はポパーの反証主義のことは知っている。その後、彼の弟子ラカトシュ、ファイアーベントが登場し、さらに科学史からはクーン、そしてマイナーだったが暗黙知のマイケル・ポランニー、さらにドイツの社会学者ハンス・アルバート、シュテイクミラーなどなど、・・・・・・

 しかし、ポパーの科学哲学を研究すればするほど、やはりの限界が見えてくるものだ。私は、前にブログでも書いたように、反証可能性という科学の境界設定基準を支持するものの、全面的に認めているわけではない。

 この基準のもとに、量子力学のような確率言明をどう扱うのか?反証可能性の度合いをどうあつかうのか?すっきりしないのだ。

 しかし、ポパーの世界3を受け入れれば、これらの問題は大した問題ではないのだ。この実在論を受け入れれば、話しが大ざっぱなので、すっきりするのだ。この理論では、物理的世界1と言明の内容の世界3は相互に自律的なので、帰納の論理などないのだ。ましては、言明の真理を実証することも不可能だ。

 こうして、帰納の論理は存在しないし、実証可能性は経験科学の境界設定基準にはならないということが論証される。

 しかし、私はそういった科学哲学的な観点から、ポパーの世界3に関心もつというよりも、いまはこの世界3理論はいろんな場面で役に立つと思っている。とくに、ここ数年の間にポパーのいう世界3はインターネットの普及とともに加速度的にその存在を拡大しているのだ。

 ということで、ぜひこのポパーの世界3理論をみなさんに進めたいと思います。ぜひ拙著『戦略の不条理』光文社を読んでほしい。もっと詳しく知りたい人は『戦略学』ダイヤモンド社を読んでください。

2010年5月10日 (月)

逗葉ヨットクラブがんばれ2

 先週、逗葉ヨットクラブの代表秋田君とOBの方にお会いした。頑張って活動を続けているようで、とても安心した。とくに、OBの方の熱心さには、本当に頭が下がる思いだ。

 最近、東横線の駅に、逗葉ヨットクラブのポスターが貼ってあり、カッコよかった、と私の知人から、偶然、聞いた。実は、そのポスターを3月にOBからいただいていたのだ。やはり効果があるものだなあ~と感心した。

 また、OBにFMラジオ関係者がいて、ラジオでも逗葉ヨットクラブの話しが、最近、流れたということも聞いた。さすがに、逗葉ヨットクラブは、50年以上の伝統をもつヨットクラブだ。すごい。

 逗葉ヨットクラブのOBOGは、各方面に活躍しているようだ。OB会会長は丸紅の勝俣会長だ。実は、私は勝俣会長ともご縁があったのだ。

 昨年、9月に経済同友会の企業経営委員会の会合で、私は「コーポレート・ガバナンス」について講演をした。その委員長が逗葉ヨットクラブOB会会長勝俣会長だったのだ。(そのときは、このような関係にあるとはまったく知らずに横に並んで座っていたのだ。3月にOBの方から、創立50周年記念の冊子をいただいて、初めて知ったのだ。2頁目の写真をみて、どこかでお会いした顔だと・・・・)

 また、最近、お会いしたOBの方もほとんど大会社の元役員だ。私の知り合いに東電に務めている人がいるのだが、最近、偶然、東電にも逗葉ヨットクラブ出身者で非常に優秀な人がいますよという話も聞いた。

 学内にも、関係者はたくさんいるようだ。とくに、現塾長である清家塾長もかつてこのクラブの会長をやられていたのだ。

 私は前にも書いたのだが、まったく偶然、意図せざる結果として、このクラブの会長のような立場にいるのだが、まったくの素人で、何の役にも立っていない。しかし、このクラブの最近の活動をみて、慶応義塾の素晴らしさを改めて認識している。

 最近の慶応の学生は、昔の学生と違って飲み会をしても、最後に肩を組んで「若き血」や「おお我が慶応」を歌わなくなってしまった。みんなドライだ。私は最近母校に戻ってきたので、浦島太郎状態なのだ。どこで、伝統は途切れたのだろうか。少しさみしい思いをしていた。

 しかし、逗葉ヨットクラブには、まだ何か昔の良さが残っているように思う。秋田君、OBがんばれ!

こんなものを見つけてしまいました。

http://www.sponichi-telebee.com/tv/4000101/vid=2740

HPもリニューアルしたようだ。関心のある人はぜひ一度みてほしい。

http://keio-zuyo.sakura.ne.jp/

 

  

2010年5月 6日 (木)

ポパーの反証可能性とポパーの世界3理論の関係

 休日前に体調を少し崩していた。仕事がたくさんあったが、家族旅行も決定しており、すべてが中途半端に休日を過ごしてしまった。

 明日から、またたくさん仕事があるのだが、がんばりたい。課題がたくさんあって、どれも挑戦したいのだが、体と相談しなければならない。

 ところで、最近の拙著ではいつもポパーの世界3理論を取り上げているので、少しはポパーのことも理解していたでける方が多くなったかもしれない。多くの人は、ジョージ・ソロスを通してポパーの存在を知った方が多いのではないかと思う。

 ソロスのポパーは初期のポパーであり、晩年の世界3の理論は彼の著書には出てこないので、私がポパーの世界3理論の話しをすると、そんなこともいっていたんだという人が多い。

 私のポパー理解は単純だ。ポパーの反証可能性の議論は、帰納主義を徹底的に批判し、自滅させるものであった(これはポパーの言い方。だれが論理実証主義者を殺したか?私ではなく、勝手に自滅したのだというのがポパーのいい方)。

 しかし、実はポパーの議論も論理学的に詰めてゆくと限界に出くわすのだ。その限界は簡単だ。反証可能性に度合いがあるという点だ。そうすると、反証可能性と反証不可能性の境界(demarcation)が論理学的にはかぎりなくあいまいになるのだ。0.0000000・・・・・・・1%反証可能性ある言明と反証不可能な言明とは数学的には大した差はないのだ。

 この限界を理解したポパーは、それでも帰納主義を否定するために、晩年、世界3理論という存在論を持ち出したのだ。と私は推測している。世界1と世界3は異なるのだ。それぞれ自律的なのだということで、帰納法は存在しないのだ。シンプルな話だ。

 私は、ポパーの反証可能性の議論も好きだが、やはり論理的限界を感じる。それよりも、世界3理論は論理的な切れはないが、哲学的で面白いのだ。

 

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