取引コスト、心理的コスト、物理的コストの関係
拙著『戦略の不条理』では、ポパーの多元論的世界観にもとづいて議論を展開している。いま、三つの世界に対応するコストについて考えてみよう。
(世界1)物理的世界=物的金銭的資産の増減、会計的損益
(世界2)心理的世界=心理的なコスト・ベネフィット
(世界3)知性的世界=取引コスト
ここで、世界1,2,3には階層があることに注意する必要がある。世界3が最も高次で、世界1が低次の世界である。つまり、世界3が存在しているときには、すでに世界2と世界1は存在しているのである。逆にいえば、世界1があるからといって世界2や世界3が存在しているとはかぎらないのだ。
この階層性を理解すると、われわれ人間が、なぜ「取引コストの増減」を気にするのかが理解できる。つまり、世界3の住民である取引コストの変化は世界3の変化にとどまらないからだ。つまり、取引コストの変化はより低次の世界2の心理的なコスト・べンフィットに影響し、さらに低次の世界1の会計上の損益にも影響するのだ。
しかし、世界1の会計上の損益は必ずしもより高次の世界2の心理的コストベネフィットに影響する保証はないし、さらに高次の世界3の取引コストに影響する保証もないのだ。
以上のことから、より高次の世界の取引コストの変化は、われわれ人間にとっては非常に負担の大きなことだといえる。それは、より低次の世界2と世界1の変化を起こす可能性があるのだ。
●取引コスト↑→心理コスト↑→物的金銭的コスト↑(必然)
●心理的コスト↑→物的金銭的コスト↑(必然)
×物的金銭的コスト↑・・・・×・・・・・心理的コスト?(必ずしも必然的ではない。可能だが)
×心理的コスト↑・・・・・×・・・・・・・取引コスト?(必ずしも必然的ではない。可能だが)
●小林秀雄風にいえば、
モーツアルトの音楽自体に悲しい旋律がある(世界3)
↓
心理的な悲しみがあったのでは?(世界2)
↓
悲しい物理的出来事があったのでは?(世界3)
× 以下は必ずしもない。
心理的な悲しみがあった(世界2)
↓
悲しい音楽が生まれた(世界3)場合もあるし、
生まれずに終わった場合もある(世界2で終わり)
以上のことを科学哲学的にいえば、
科学的知識発見の論理はないということです。創造的知識発見にいたる論理(ロジック)はない。何でもいい。偶然でもいい。ひらめきでもいい。ということです。
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