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2009年12月23日 (水)

なぜ昔の大学では哲学が重視されたのか。

 先日、慶応MCCでのアゴラで、由井先生にご登壇いただいた。その際に、大正時代の東大生は、大抵、カント哲学を学んだ、ということを改めて確認した。もちろん、カントだけではなく、「デカンショ」、つまりデカルト、カント、ショーペンハウエルだ。そして、やがて彼らが日本のビジネスの中心となっていったということである。

 では、なぜ当時幸運にも彼らは西洋の哲学、とくにカント哲学を学ぶことができたのか。もちろん、当時の彼らのアカデミックな気概や知的欲求があったのかもしれない。

 しかし、由井先生がいうには、当時、いまだ西洋に追い付きたいという日本政府の意図があったのであり、そのために西洋の学問を身につける必要性を痛感していたというのだ。そして、そのあらわれが東大を中心とする旧制高校や大学での哲学重視なのだ。

 その思想はその後も変わらず西洋に追い付くために、次は大学では科学技術の輸入につながることになる。

 ところが、1980年代から、ビジネス界では日本企業の躍進により、そういった風潮はうすらいだ。しかし、政府や官僚にはいまだその精神が残っており、コーポート・ガバナンス関連の改革はほとんど米国をお手本としている。

 海外の知識を受けれて成長するという点では本質的にそれほど変化がないが、受け入れる対象が、ヨーロッパの哲学中心知識から米国流の技術中心知識に変化したように思える。私たちは、もう一度、ヨーロッパを見直す必要があるのかもしれない。

 しかし、ヨーロッパには、日本が理解できない壁がある。階級制だ。

 

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