慶応大学菊澤ゼミナールHP

私の趣味

新制度派経済学と限定合理アプローチの本

経営哲学学会HP

« 『戦略の不条理』についてとその他ちょっとした不満 | トップページ | またやってしまった »

2009年11月12日 (木)

バスの中にある特別シートをめぐって

 米国では、社会全体がそういった雰囲気なのだが、バスの中では自然とレディーファースト、老人、子供に席を譲る。それが実にスムーズであり、その流れにわれわれ日本人も溶け込める。

 ところが、日本に帰国すると、これがまったくできない。席を譲ると、譲られた方も「私は老人じゃない」という顔で迷惑がられるときもある。難しい。

 さて、昨日、雨の日、私は夜疲れてバスに乗った。ご存じのように、バスは乗車口近くに赤いシートがあり、そこが特別シートとなっている。ちょうど、そこが開いていたし、私もその日は疲れていたし、この時間帯に老人が乗る可能性は低いし、もしかしたら、もう私もそのような年齢なのかもしれないと、瞬時にいろいろと、考えて座った。

 なにもなく、バスは動き出した。すべてが予想道理だ。と、思った。しかし、次の瞬間、バスがあるバス停で止まり、老人かどうか微妙な男の人が乗ってきた。困った。その人は、やはりすわりたいのか、バスの奥に行こうとしない。

 しかし、この雨でこの時間まで外出しているくらい元気なのだから、老人とはいえないかもしれないと自分にいい聞かせ、席を譲るのをためらった。しかし、その男の人はやはりバスの奥の方へ移動しない。困った。

 動けない状態だ。ナッシュ均衡かもしれない。しかし、次の瞬間その均衡は崩れた。

 次の停車場にバスが着いたとたんに、たくさんの元気のいい人々が乗ってきて、その老人はその人波に押されて奥に行ってしまったからだ。

 カントによると、こういった迷う気持ちがあるだけでもいいのだ、ということらしい。それを「理性の事実」というのだ。私は悪しきカンテリアンかもしれない。

« 『戦略の不条理』についてとその他ちょっとした不満 | トップページ | またやってしまった »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: バスの中にある特別シートをめぐって:

« 『戦略の不条理』についてとその他ちょっとした不満 | トップページ | またやってしまった »

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31