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2009年11月28日 (土)

ヴェーバーとハイエクが残した現代資本主義の課題

 ヴェーバーは、西欧における近代化が、宗教の合理化(宗教改革)に始まり、それが人々の心を合理化し、そしてそれが生活態度への合理化へと発展し、金儲けが正当化されていったことを論証した。

 人々は、救われるかどうか、分からなかったが、天職として自らの仕事をまじめに遂行することによって救いへの確信を得ようとした。換言すると、誠実に金儲けをすることによって、救いへの確信を得ようとしたのだ。これが価値合理的行為だ。

 しかし、やがて人々は宗教とは別に、金儲け自体を目的として行動しはじめた。目的合理的な行為へと変化した。冷たい官僚制組織、感情のない市場経済社会。そして、そこに待っていた世界はかつてのプロテスタントと同じだった。

 この問題にハイエクは気付いた。市場競争はだれが選択され、だれが淘汰されるかわからない。結果だ。だれが救われるか、だれが救われないか。だれもわからない。それゆえに公平なのだ。それでも、救いをもとめてビジネスができるか、どうか。リスクを背負ってビジネスを起こし、市場競争に参加するかどうか。いまや、プロ倫(宗教)に対応するものはない。現代のわれわれは、どうすべきか。価値合理的行動は可能か?

 全知全能の神はいない。儲かる方向を指導してくれる官僚などいない。命令に服従している人生は楽だ。親にいわれる通り、やるのは楽だ。しかし、人間は神ではない。本当は、だれも儲かるかどうかわからない。それでも、ビジネスをやるかどうかだ。

 ビジネスを展開する人は、他人に言われて失敗するくらいだったら、自分の思うままやって失敗したほうがいいという気概が必要なのだ。これ不完全な人間に与えられた自由だ。・・・・・・・・・・・

 

 この続きの答えは、カント哲学にあるし、ドラッカーの経営哲学にもあると思う。ヴェーバーとカント、ハイエクとドラッカーはセットなのだ。この続きは、また次の機会に。

 

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