単純明快化することと端折る(省略)ことの違いについて
ある人の議論を聞いて、あるいはある本を読んで、話を単純明快化して説明する人と、話を端折(ハショ)ってしまう人がいる。表面的には同じように思えるが、まったく違う。
前者は頭脳明晰な人であり、多くのことを学べる人だが、後者の人はかわいそうな人で、まったく学べない人だ。
では、後者の人とは具体的にどういう人のことか?
例1
「インフレーションとは物の量に比べて貨幣の量が異常に多く、貨幣価値が下がることであり、この問題は・・・・・・・・・・・・・・・・である」というように、経済学理論を用いて1時間ぐらい説明をしたとしよう。
話を端折る人(学べない人)というのは、以下のように答える人だ。
「な~んだ、インフレーションを解決するのは簡単なんだ。いろいろ、説明を受けたが、結局、世の中に出回っているお金を減らせばいいだけなんだ。」(プロセスも大事なのだが・・・)
例2
「行動経済学によると、・・・・・・・・・カーネマンたちによって人間の心のバイアスは価値関数で表現される。この関数を用いると、プラスの心理状態ではリスク回避的となり、人間はあえて動こうとはしない。しかし、マイナスの心理状態ではリスク愛好的となり、人間は積極的に行動しようとする。この理論を利用すると・・・・・・・・・・・・・・・・・といえる」
話を端折る人(学べない人)
「な~んだ。話は簡単だ。結局、気分をかえればいいんだ」(そんなに簡単ではないのだが、簡単に変わるものは、すぐにもとにもどるのだが・・・)
例3
「M・ヴェーバーは、「プロ倫」で西洋の近代化のメカニズムについて説明した。プロテスタタンティズムの倫理が合理化され、それが個々人の心理を合理し、・・・・・・・・・・・・・・・・・、その結果、魂なき資本主義を形成した」
話を端折る人(学べない人)
「な~んだ。ヴェーバーの話は簡単だ。単に精神が資本主義を形成したといっているだけか」(これだと、ブレンターノの説と同じになるのだが・・・)
こういった人と会うと、われわれのような学者はまったくの非力で、1時間もかけて話をしたことが、一瞬のうちに無駄になってしまう。
しかし、こういった人は一般人だけではない、実は学者の中にもかなりいて、学会で発表すると、一人ぐらいこんな話を端折った質問をする人がいる。(意地悪な人かもしれない)
「な~んだ。あなたのいっていることは簡単なことですね。質量とエネルギーは同じだということですね」
(E=MC2の式を導き出したアインシュタインに対して)
大変なことだけど!
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